私たちはどこに向かっているの? | ユリのふるさと創り

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アナスタシア シベリア杉シリーズを読んだことある人いますか?
一緒に、祖国(ふるさと)創りに向けて歩き出しませんか?
そのための1歩がこのブログです。

1年間に国会で成立する法律の数は、平均で100を超えるそうです。

(新しい法律&改正された法律の数。)

 

 

毎年約100件も法律変わるって知ったとき、

 

そんなにコロコロ法律変えるってことは、国が最終目的地を決められていないんだなって感じました。

 

 

 

最後の目的地が決まってないから、世界の情勢に巻き込まれたり流されたりして、その都度法律を変えなくてはいけない状態になってるんじゃないでしょうか。

 

 

 

日本という国は、結局どうありたいのか。

 

 

これって、国の話だけど、人の話みたいだなって思います。

 

 

 

人の目を気にして、親の目を気にして、世間の目を気にして、私は生きていました。

 

その時はそれが最善だと思ってたけど、今はだんだんと違うって思ってきています。

 

結局は、自分はどうありたいのか。

 

 

そこの探求にこそ、私が行きたい道が見えると思いました。

 

 

 

国も同じかもしれないです。

 

 

世界の国々の目を気にして、支配者層の目を気にして、国民の目を気にして、生きてきたのかも。

 

 

日本は、どうありたいのかな。

 

 

 

国は、そこに住む人の集合体だから、日本はどうありたいかって思ったら、人の数だけ答えがあると思います。

 

方向性もバラバラかもしれない。

 

 

でも私、人が辿りたい方向はバラバラでも、最終目的地は一緒なんじゃないかと思うんです。

 

 

幸せに生きたい。

 

 

幸せが何かって、けっこうみんな共通してませんか?

 

 

時に子どもを見てると、幸せに生きるってこういう事なんじゃないかなっていうのが見えてきます。

 

 

お母さんが笑ってくれたら嬉しい。

お父さんに楽しませてもらうと嬉しい。

友達を楽しませられたら嬉しい。

物事に熱中できると楽しい。

遊んでいると楽しい。

好きなことしていると夢中になれる。

美味しいもの食べたら嬉しい。

甘えたいときに甘えられたら嬉しい。

 

子どもって、嬉しくて、楽しくて、すぐ夢中になる。

 

これって、幸せだと思います。

 

そして、アナスタシアの言葉を借りると、

「創造すること、それを皆で分かち合う」楽しさもあります。

 

 

 

国民みんなが幸せに生きられたら、日本も嬉しいんじゃないのかな。

 

国民のみんなが幸せに暮らしているイメージ。

 

そのイメージこそが、”日本はどうありたいのか”の答えだと思います。

 

 

 

そして、日本は日本国民の集合体だから、

 

日本に住んでいる私たちが、

私の幸せって何だろう

幸せに生きるってどんな生き方だろう

私は、どう生きたいのか

私は、どうありたいのか

 

そう個人個人が、自分の理想の未来を明確にイメージすることが、日本はどうありたいのかに繋がっていくと思います。

 

 

 

そして、”日本はどうありたいのか”が明白にイメージできれば、

諸外国と付き合うのでも、自国という芯がしっかりしてるから、世界の情勢に流されないようになると思っています。

 

 

”日本はどうありたいのか”

 

私も、イメージして言葉にしていきたいと思います。

 

 

最初の一歩はイメージからニコニコ