昨夜は、厚狭駅前のビジネススホテルに宿泊しました。部屋は簡素

でしたが、大浴場には、露天風呂とサウナがあり、一寸した温泉旅館

のようでした。ビジネスホテルも進化して、いろいろです。

 

朝、ホテルを出て、昨日の終了地点である「厚狭駅」の南(新幹線)側に

向かいます。昨日もそうでしたが、厚狭駅を通り抜けるのに「入場券」

が必要でした。「通り抜けだけで、金取るか?」「関所か」と思いつつ。

厚狭駅南側の道路です。ここから出発しましたが、駅前には、前回(2012年)

同様、広大な「未利用地」(空き地)が広がっており、交通量も疎らでした。

 

厚狭は「3年寝太郎伝説」があり、彼を祀る小社もありますが、

失礼して「真っ直ぐな道」を「七日町集落」へと向かいました。

七日町集落に近づくと、道が狭くなり見慣れた田園風景となります。

 

「石丸橋」を渡ると、七日町集落です。集落内の小さな峠を越えて進むと

左手高台に「小さなお堂」があり、その近辺に「一里塚」があったようです。

左の電柱付近に、一里塚があったとされますが・・・。

 

すぐ先に分岐があり「右 吉田道・・」の道標(明治)に従い、右に進み

「JAライスセンター」を過ぎると「山野井八幡宮」です。街道は、神社を

ぐるっと廻って、農村風景の広がる「山野井地区」を通って行きます。

 

「山野井地区」を抜けると、右手に山陽線が通る「山道」となります。

山道を進み、分岐がある所を、右に下り「金錆(かなさび)踏切」を渡ると

「石炭(いしずみ)集落」です。金錆・石炭って、由来が気になりました。 

 

「石炭集落」を過ぎ、跨線橋を渡って、元の山道に合流後、左折して

進みと、山陽線の横にある山裾道に出ます。山裾道は、かなり荒れて

いましたが、下った先の踏切を渡ると「福田八幡宮」があります。

↑左の山裾道(荒れている)を進みます。

 

八幡宮前で「県道に合流」しますが、すぐ先にある「左にカーブ」する地点が、

「蓮台寺峠」への分岐点です。ここで「山陽道を歩いている」と言う男性に

会いました。彼は「『蓮台寺峠』は『台風で崩落している』(SNS情報)ので

この県道で、そのまま迂回して『吉田』に向かう」と、話されていました。

  カーブミラーの所を右折 蓮台寺峠 →

 

少し迷いましたが、私は「蓮台寺峠」を越える事にしました。

昼近くになると、日光からの日差しがきつくなり、今日も暑いです。

カーブの所を右折した、すぐ先を左折して、蓮台寺峠に向かいます。

右の電柱の所に、新しい「案内表示」(以前のは腐食)がありました。

 

軽トラが通れる幅の、峠道を登って行きます。以前は、右側が

「一面の田んぼ」でしたが、今は耕作放棄地となり、悲しいです。

 

峠道を暫く歩くと分岐があります。この分岐は、左手「中国電力」

の「注意書き看板」のある方向、木々の間の短い坂道を進みます。

すると、視界が開け、今度は左手に、田んぼが広がっていました。

 

偶に短く「草が繁茂し、樹木が鬱蒼とした」所もありますが、前回にあった

「泥濘地帯」もなく、順調に峠道を登って行くと、分岐があります。右に

入ると「旧街道」が残っています。私は前回(2012年)、この旧街道を歩いて、

藪や倒木等で難儀しましたので、今回は道なりに旧道を進みました。

   旧街道(荒れている)の入口↗

 

峠に近づいた所に、先程の「旧街道」の出口(合流点)があり

「庚申塔」等が立っています。丁度そのスペースに「軽トラ」が

駐車し、何か話をされていましたので、そのまま通り過ぎました。

前回歩いた時(2012年4月)の写真を貼って置きます。

 

「切通し」の峠です。峠を下ったすぐ先に、立派な「民家(廃屋)」

(下関市)が数軒?ありました。近年まで住んでおられたようです。

下関市に入ると「説明板」等が、充実しています。自治体によって

差があるのは、仕方がないのでしょうが、旅人には、助かります。

 

峠道を下って行くと「蓮華寺」への案内板がありますが、少し

距離があり、前回訪問しているので、今回は失礼しました。

「拡幅・整備」された峠道を下ると、やがて「広い道」に出ます。

この先で、広い道に合流・左折し、更に下って行きます。

 

途中「庚申塔」等を見て、下ると「吉田の街」に入ると追分(分岐)があり

ます。手前、右手に(吉田宿から来ると)「右 上方(かみがた)道」「左 萩道」

と刻まれた「大きな道標」が立っており、正面に「高札場(跡)」がありました。

        ← 吉田宿    萩へ→  

 

左折すると「吉田宿」です。吉田は「奇兵隊の陣屋」があった所で

随所に、その名残が残っています。左手「旧庄屋・末富家」が

奇兵隊の「本営」で「高杉晋作」の葬儀も、ここから出ています。

左が「末富家」です。以前は、壁に説明板が「張り付けて」

ありましたが、今回見上げると、もう外され無かったです。

 

交通の要衝にあり、随分繁栄した「吉田宿」ですが、今は人通り

は無かったです。宿場の出口(県道との交差点)左「三界万霊」の奥に

「一里塚跡」があり、榎木や説明板や石碑があるのですが、工事中

で、立ち去る様に「警備員に急かされ」写真は、撮れなかったです。

 ←左が1里塚跡    「奇兵隊陣屋跡」へ→

 

一里塚跡を、左折・すぐ右折した所に「吉田宰判」(萩藩の行政区分)

の「勘場と御茶屋の跡」がありましたが、今は土塀が残るのみです。

 

更に県道を南下すると「高杉晋作の墓所」(東行庵)があります。

遺言により、騎兵隊の本拠地だった、吉田に葬られています。

高杉の墓

 

 元の旧道に戻り「吉田大橋」で県道と合流「木屋川」沿いを延々

と歩いて行きます。直射日光を遮るものがないので、暑さ倍増です。

 

暫く歩くと、右に「細い坂道」があります。この坂道が、僅かに

残る「旧山陽道」で、坂道を登り、少し進んでみましたが「藪化」

しており、通行は無理でした。県道に戻り、進んで行きます。

             旧街道の名残り ↑

 

更に県道を歩いて「新幹線」の高架下を過ぎると、右手に

坂道があり、これを登って行くと「小月の街」です。

 

「小月小学校」の先の「四つ角」を、右折し「小月神社」の前

を通り、坂道を下って行くと、右手に大きな「庚申塔」が立って

いました。説明板では「日本一大きい」庚申塔だそうです。

右にある、大きな石碑が「庚申塔」です。

 

小川を渡り、突き当りを左折すると「一里塚跡」の石碑があり

ました。この辺から、半宿だった「小月宿」ですが、もう宿場町

の面影はありません。近くに道標があり「右 かみがたへ・・」

とありました。この辺は、旧山陽道は、上方道とするようです。

写真中央の街路樹の下に「一里塚跡」の石碑があり

続いて、その先の街路樹の下に「道標」があります。

 

街道は「道標」の先で、右折して「見廻り通り」と言う細い道に

入って行きます。宿場の中心だったこの辺を、武士が見廻った事

からついた、名前のようです。

まだ、13時ですが、本日はこの先で終了とし「小月駅」に向かい、

帰宅しました。本日も「暑い、暑い」約5時間の、行程でした。