昨日の泊まったホテルは、建物が新しく、清潔感のあるビジネスホテルで

した。どうも足の調子が悪く、マッサージをお願いし、早くに寝ました。

 

昨日の終了地点から出発すると、すぐに「七日市宿」(井原市)です。

「小田川」を控え、大変繁栄した宿場でしたが、今は本陣跡の石碑と、その

斜め前にある「武速神社」以外に宿場町としての史跡も、面影もありません。

「本陣屋敷跡」の石碑は、左手駐車場の角にあります。

 

左に「井原駅」を見て進んで行くと、やがて街道筋らしい雰囲気のある

細い道となり「出部郵便局」の先に「一里塚跡」の石碑がありました。

右手に、ブロック塀と同色で判りにくいですが、歩道と民家の間に

「出部ふるさと会」が建てた「一里塚跡」の石碑が立ってます。

 

この辺の街道筋は「常夜燈」が多いです。一里塚の少し先にも、

石垣にの上に、船の形?を台座にした「常夜燈」がありました。

 

街道筋は「大曲公園」の所で、右に曲がります。昨日を含め3回目の大曲

ですが、説明板によると「単調な旅に変化を付ける為意図的に曲げた・・」

と書かれていました。右左折して、どんどん進んで行くと「高屋宿」です。

「後月橋」を渡ると、高屋宿の入口です。左手にある「法泉院」は

廃寺状態でした。過疎地のお寺は、維持が難しいと聞きます・・。

 

宿場に入ってすぐ右手に、声楽家「上野耐之」生家があります。この辺で歌わ

れていた子守歌を「上野耐之」が「山田耕作」に紹介し、山田の編曲により全国に

「中国地方の子守唄」として広まった為に、高屋が「発祥の地」ともされます。

生家「上野家」が高屋宿の本陣だった?とする説もあります。

 

高屋宿を進むと「県境碑」が見えて来ます。県境は「川とか、峠」が

多いですが、ここは街中にあり珍しいです。何か事情がありそうです。

 

左、県境碑です。いよいよ「備後の国(広島県)」に入ります。

右のお店の住所は「広島県福山市神辺町上御領」だそうです。

お店に入り、飲料水等を購入しました。店内に、近くの工場で働く

「東南アジア系の若い女性」が数人買い物をしていました。店の方は、地元の

若者は都会に出てしまい、今では彼女達との会話が、元気の源だそうです。

 

「上御領八幡神社」を過ぎると、左右に一里塚の石碑がありました。

右手に「四ツ堂」と言う東屋があり、昔は休憩所だったようです。

東屋付近には、多くの石仏があり、石垣にも埋め込まれていました。

左側にある「一里塚碑」の横に「菅茶山」(江戸後期の儒学者)

の「高屋途中」と言う「漢詩の碑」も、立っています。

 

街道を道なりに進み、左折すると「明正寺」があり、その先で右折し

「下御領の集落」を進んで行きます。右手に「象?山」と彫られた

大きな「常夜燈」がありました。この辺は本当に、常夜燈が多いです。

常夜燈の隣にあるブロックの中にも、石仏が安置されていました。

 

街道はその先の三差路を左に進みます。丁度広い道路と交差する

地点右に、松林の続く「国分寺」への参道があり、左に「南大門跡」

の石碑がありました。折角なので参道を通って国分寺に向かいました。 

 

現、国分寺です。江戸期の建物ですが、なかなか立派なお寺でした。

本来の「備後国分寺」は、消滅し近くに跡地が、あるようです。

 

街道筋は、すぐに「川沿いの道」に合流し暫く進み「東淵橋東詰」の

交差点で、右折して「髙屋川」の土手道を歩いて行きます。土手の

右手に、福山の地場産業「デニムの工場」が、広がっていました。 

 

「橋本橋」を渡って土手道と別れ「神辺の街」へと入って行くと
右手「古市荒神社」の所に「一里塚の石碑」が、立っていました。

「古市荒神社」の境内には、色んな古い建物が「所狭し」と建っています。

右手にある「一里塚の石碑」は、以前歩いた時(2014)は「木柱」でした。

 

更に街道を進むと、右手に「廉塾並びに菅茶山旧宅跡」があります。

幕末に、神辺宿の「東本陣・菅波家」の長男「菅茶山」が「廉塾」を

開き、英才を教育した所で、講堂、寮舎、菜園などが残されています。


幕末の神辺宿は「酒と博打」で相当荒れていたようで、宿場を

立て直すには教育だとして、塾を設けた事情もあったようです。

 

「神辺宿」は七日市、三日市、十日市の三町で構成され、七日市に

「東本陣」三日市に「西本陣」がありました。東本陣は「廉塾」の

斜め前にありましたが、今はなく「小さな看板」があるだけです。

左の「カーブミラー」の横、金網に「東本陣跡」の木札がかかっています。

 

街道は、酒造会社を越え「桝形を左右折」すると

「西本陣・菅波家」があります。広島県内で唯一現存する本陣です。

 

「広島銀行」の所を左折し「国道313号線」に合流し「十日市の町」

へと入り国道ます。角に「旧菅波歯科」の「古い建物」が残されて

いますが、商店街は何処も一緒で、苦戦しているようでした。

もう少し先に進む予定でしたが、足と腰の調子が悪く、この先の「神辺駅」

で終了とし、福山のホテルへと向かいました。約4時間の行程でした。