昨夜は、西条駅前の大手ビジネスホテルに泊まりました。最近定番のセルフ
受付でしたが、狭いエレベータが1台のみで、すぐ満員になり下層階の宿泊者
はまず乗れない不便さ、朝食の貧弱さも、あい変わず定番のホテルでした。
 
朝、旧山陽道が「駅前通り」と交差する地点から出発しました。丁度
その地点にある「ふじたストアー」さん付近に、脇本陣があったようです。
今は、飲食街のこの通りが、江戸期は「広島藩の代官所」や明治期は
「加茂郡役所」があり、商店が立ち並ぶ「行政や商業の中心地」でした。
 
更に進むと、以前「老舗の酒造会社」があった場所に巨大なマンション
が建っていました。趣向品が多様化し、酒造会社も大変なようです。
 
街道は、一旦「国道2(486)号線」に合流し、旧道と出入りした後「友待橋」
の交差点で、左にある旧道に入るとすぐに「(時友)一里塚跡」がありました。
左にあるゴミ箱の前に、小さな「一里塚の説明板」があります。
街道は、この後「飢(かつえ)坂」に向かって、坂道を登って行きます。

「飢坂」は峠まで、住宅地が続いていましたが、溜池を過ぎた辺り
に僅かに「地道があり」峠越えの雰囲気が、少し味わえました。
「飢坂」の由来は、飢饉の年に多くの人が、この峠で行き倒れた
説や「歌謡坂」から始まった「牛満長者」の田植えが、この坂付近
で終了する頃には、腹がへった(飢えた)説等、諸説あるようです。
 
下りも、峠頂上付近まで住宅が建っていました。
街道は、下った先にある工場の敷地内に、消滅しており、工場を半周
する形で、工場の裏手の「清水川神社」がある旧街道へと、迂回します。
 
「清水川神社」の前を通り「八本松の街」を進んで行くと
道が細くなり、やがて国道と、JR山陽線で遮断されます。
細い道の周囲は、家が立ち退き「大規模な造成工事」をしていました。
 
国道とJR線を歩道橋で跨ぎ、反対側にある旧道を進み、JR線の踏切を渡り戻し
て、国道に合流します。すぐ横にある商業施設「ミスターマックス」の敷地に
「(長尾)一里塚」の石碑があり、街道は「道路向かいの旧道」へと、進みます。
旧道に入りますが、右手、国道の向いにある「ミスターマックス」
の駐車場の「西の端」に「一里塚の石碑」が立っていました。
 
旧道の坂道を登り「大山峠」へと向かいます。大山峠は、情報では
2018年の豪雨で土石流が発生し、復旧工事中で「通行できない」
との事ですが、工事中の標識がないので、そのまま峠へと進みました。
 
舗装された急坂を喘ぎながら、登って行くと、突然開けた所に出ま
した。ここが、左から右に土石流が流れた後の、補修工事現場だった
ようで工事は完了していましたが、峠道は完全に消滅していました。
左へと登る道は工事用の道路で、街道は正面にある森の中に続きます。
 
森の中の街道筋に入ると丁度「地質調査」をしている方々に会い
ました。「峠道は通れますか」尋ねると「大丈夫」との返事でした
が・・・。森の中は、最初からこんな道で、飛び越えるか、川に
入って横断するかの選択を迫られます。でもこれは「序の口」です。
 
参考までに、2012年2/27に歩いた「大山峠」を貼っておきます。
 
さて、今の峠ですが、頂上部分は無事で「峠の説明板」や「大山清水」
は残っていました。だが下りの峠道は、豪雨で削られてしまい、道は
もうありません。通れる所を探して、倒木を跨ぎ、川を渡って進みました。
状態の良い所で撮影しています。実情はもっと酷く、道はありません。
 
更に進むと、峠道は「完全に崩落し」土石流の流れた底地を、通るしかなく
なります。散乱する石に躓き、湿気のある所では滑る「難儀な道」でした。
 
やっと「国道2号線」のバイパス道路(高架)が見えて来ました。
雑草が茂り、石が散乱する、まさに「河原」を下って行きます。
 
バイパスの高架下を抜け、集落(広島市)へと降りて来ました。
石ころが散乱する河原を通り、軽い「捻挫」をしてしまいました。
 
一旦国道2号線に合流しますが、すぐに旧道に入ると、随所に故事の
出来事等の説明板があり、それを読みながら旧道を進んで行きます。
「三本松」です。以前は小さいながら松林でしたが・・・。
 
吉田松陰が通った事を示す、立派な説明板を過ぎると
少し先の石垣の側に「(涼木)一里塚跡」の石碑がありました。
 
左手に、国道2号線を見ながら、旧道をのんびり歩いて行きます。
 
大山は「砂鉄が取れ」、豊富な木炭生産を受けて「刀鍛冶」が
盛んだったようです。そんな「大山刀鍛冶」の説明板を見ながら
旧道を進むと、間の宿だった「一貫田」地区に入って来ます。
「一貫田」の家々には「種田山頭火」の句が一句づつ、架けられて
いました。「山頭火」と、何か関係がある地区なのでしようか??。
 
一貫田地区を抜け、北側の山裾道を進むと、やがて「瀬野の街」に入り
ます。街中を進み「小さな橋」を渡ると、三差路となり、右側の橋の袂に
「(落合)一里塚跡」の石碑と「右ハ 四日市・・」の道標がありました。
右に一里塚の石碑があります。街道は左折して進んで行きます。
 
街道は、山裾の坂道(県道)を登って行きますが、民家が連なり
隣の山陽線は、結構な頻度で電車が通過し、道を行き交う
自動車も増えて来ました。大都市・広島に近づいた事を実感します。
 
坂道を下って「中野地区」に入って来ました。「大山峠越え」で軽い
捻挫をしたので、まだ時間も体力も余裕がありますが、この先の
「中野東駅」で大事を取って、本日終了としました。約6時間の行程でした。