昨日は、岩室温泉の某旅館に泊まりましたが、料理も風呂も接客も良く、又

宿代も、有名温泉地の旅館に比べると、安価で、身も心も財布もほっこりでした。

 

「岩室宿」を出発です。道端に「地蔵」や「庚申塔」を見かけますが、時々

祠の中に「十九夜信仰」の本尊「如意輪観音」がありました。「日光街道」等で

良く目にしましたが、この辺も「十九夜信仰」が盛んだったのかも、知れません。

 

やがて「福井地区」に入りますが、ここは有名な「米百俵の逸話」

で「困窮する長岡藩」に米を贈った「三根山藩」があった所です。

少し離れて、江戸後期の旧庄屋の住居だった「佐藤家」が

ありますりで立ち寄りましたが、生憎閉まっていました。

 

街道筋にある「三根山藩主・牧野家」の菩提寺「一山寺」に参拝し

先へと進みました。藩の陣屋は右方向「峰岡」にありましたが、遺跡類

は残っていないようです。ゴルフ場の中を抜けると、雰囲気の良い街道筋

となり左手に、旅人の喉を潤した「平沢清水」が今も、湧いていました。

平沢清水は、前方の家の前にあります。往事と比べ

湧水量は、かなり減っているとの事でした。

 

小さい丘陵を越えると「稲島地区」に入って来ます。この地区にも

道端の祠に、多くの石仏や「やひこ道」と書かれた「道標」がありました。

 

稲島地区にある、祠の中の「石仏」です。この様な祠が所々に

あり、花が活けられ、大切に守られているようでした。

 

新潟市内に入ると随所に、木製の「北国街道標柱」が立っていますが、

この標柱「現在地の地名」や、その簡単な説明があるだけで、肝心の

進むべき方向がなく「道標としての機能」は、ありませんでした。残念。

この標柱も、稲島地区を過ぎた辺りで無くなり、いよいよ

「手製地図」だけが頼りの、不安な街道歩きとなります。

 

稲島地区から「布目地区」を抜け「俵屋本店」の所を左折して、県道2号線

に合流します。途中「馬頭観音」や「やひこ道」の道標等が、ありました。

県道2号線

 

県道を離れ、赤塚地区に入ると「旧大地主・中原邸」と「旧大庄屋・

石黒家(跡)」が並んでいました。大きな「薬医門」や長く続く塀、道路に

迫り出した敷地等、当時の豪農の「相当な権勢」を、見せつけています。

新潟は、江戸期以降に開拓された土地が多いです。

この豪農家も、この辺を開拓した人達の子孫に思いました。

 

県道2号線に合流し「佐潟」を通ると、台座に「右ハにゐがた・・」と

彫られた立派な「五輪塔」がありましたが、他所からの移転のようです。

五輪塔の横に、作曲家「遠藤実」氏の顕彰?碑がありました。

彼は、この辺に疎開しており、その成功を祝っての碑のようでした。

 

街道は、五輪塔のすぐ先を右折して旧道に入ります。「馬頭観音」や

「出羽三山碑」等があり、何となく旧街道の雰囲気のある所を、道なり

に歩き「木山信号交差点」で、県道168号線に合流し、先へと進みます。

 

県道を右折して「四ツ郷屋集落」に入りますが、街道は「集落内で消滅」

しています。集落内を道なりに抜けて、海岸沿いにある「国道402号線」

に合流し、防砂林や畑の続く国道を、新潟方面へと、歩いて行きます。

この国道も、旧街道の筋道ではなく、本来の旧街道は、

もっと「海側の砂浜」を、歩いていたようです。

 

変化のない国道をひたすら歩いて、県の「水産研究所」の所を

右折、県道140号線に入り「五十嵐地区」を進んで行きます。

「五十嵐」は、新潟に多い姓で「三条市」方面にいた、鎌倉武士の

「五十嵐小文治」を祖とする一族(諸説あり)とされます。ここ五十嵐地区

も、この「五十嵐一族」が開墾した土地ですが、異論もあるようです。

 

「新川」を「往来橋」で越え、五十嵐地区を更に進みます。丁度、街並みが

「途絶え」両側に、砂地の広がる道筋の、右手に「新潟大学」がありました。

右側一帯に、新潟大学があります。

 

新潟大学を過ぎると、再び「街並みのが復活」し、どんどん歩いて

行くと、昭和47年に開通した「信濃川」の「関屋分水路」となります。

「掘割橋」で渡りますが「分水路」と言っても、大河です。

 

橋を渡り、左折「国道402号線」に合流しますが、右折する国道とは別れ

直進し、学校の多い地区を進みます。この辺の「街道筋も消滅」している

ようです。マンション「グレースハイツ旭町通」の手前に、僅かに旧街道

の道筋が残っており、右折して、路地のような所を、進んで行きます。

 

「題目寺」の前を通り、道なりに路地を進むと「学校町」の交差点で

「国道116号線」に合流し、左折して進むとすぐに「白山神社」です。

白山神社は、新潟の総鎮守とされる神社です。敬意を表して、

「大鳥居」から参拝し、無事に「新潟宿」に着いた事を報告しました。

 

白山神社の前に「古町通り商店街」があります。結構長いこの商店街

が、かっての「新潟宿」でした。当初から「新潟湊」に出入りする

船員相手の商売で、宿場町としては、発展しなかったようです。

 

この商店街を抜け「古町交差点」を左折すると目的地の「新潟奉行所(跡)」

に着きます。今日は9時間半の行程でした。奉行所の跡地は今「新潟三越(閉店)」

や「NEXT21」となり、遺跡等は何もなく、寂しい気分で「北国街道の歩き旅」

を終えました。振り返ると、冷たい強風の吹く日本海側の道を「ひたすら歩く」

身心共にハードな一人旅でした。