昨夜のプチホテルは、安価なのに部屋が広く寝具等も清潔で、良質な

ホテルでした。地方のホテルは、正直泊まってみないと「良し悪し」が

判らず、偶に酷い目に会いますが、昨夜のホテルは、正直良かったです。

 

さて、今日は「親不知・子不知」の難所を越えて行きます。昔の旅人

は、約10㎞の海岸線を「命がけで歩き」ましたが、今は「崖を打ち

抜いて」国道8号線の「洞門」が造られており、ここを歩いて行きます。

前方に洞門が見えます。昔の人は、左下の海岸線や山裾を歩きました。

 

洞門内は「信号がない」ので、自動車が猛スピードで走って来ます。

懐中電灯を振り、私が「いるぞ」と、知らせながら歩きますが、歩道が

ないので、自動車が来れば、急いで「洞門の柱」に身を隠しました。

自動車が通る度に、左にあるコンクリートの柱に逃れます

 

側面の柱の下は崖で、落ちたら即死ですので、細心の注意が必要です。

下に見えるのは、道ではなく「消波ブロック」の列です。

 

洞門は更に続きますが、洞門「天険トンネル」に入る手前から

明治期「絶壁を切り開いて造った旧道」へと進みます。旧道の

岩壁に「如砥如矢」と彫って、開通の喜びを、表しています。

見にくいですが、右の崖に「如砥如矢」と彫ってあります。暫く眺めて

から、先へと進みました。左前方(木の陰)に「親不知観光ホテル」が

見えます。絶景のホテルとして人気がありますが、先を急ぎました。

 

国道8号線に戻り、洞門を再び歩いて行きます。自動車が来ると

「ゴオー」っと洞門内が響くので、恐いですが、反面自動車が来た

事も分かります。やっとの思いで、洞門を出ると「下り坂」です。

 

下った先に「外波集落」があり、右へと旧道に入ります。狭い所に

民家が並び、江戸期は宿場町でもあったようで、結構大きな集落でした。

 

外波集落の外れに「親不知駅」があり、その先の狭い所に旧道(県道)と

JR線。海上に国道と高速道路が通っていました。右が崖、左は海です。


右が旧道、左が北陸本線、海上にある高架橋の下側が国道8号、上側が高速道路です。

 

この先で、坂を登って高架橋の国道に合流するとすぐ「子不知の洞門」

に入ります。懐中電灯を「大きく振って」人がいる事を知らせて

進みますが、運転手側にしたら「ここを、人が歩くか?」でしょうね。

 

歩いて来た洞門です。側面の柱の間から撮影しました。下にあった

かっての「北国街道」は浸食されて消滅し、消波ブロックが並んでいます。

 

洞門を抜けても、険しい崖道が続きます。右の崖上に「上杉景勝」が

築城した「勝山城(328m)跡」があり、その城で秀吉に降伏したようです。

 

国道を下って、ついに「青海宿」に着きました。すぐに海岸に出て

「親不知・子不知」を振り返り、往事の旅人の苦労を偲びました。

昔の「激しく波打つ海岸線」も命がけでしたが、現在の

国道(洞門)歩きも、約4時間の「命がけの10km」でした。

 

青海宿に入ると、すぐ左手に「青海宿本陣 清水家跡」の石碑が立って

いました。青海は「親不知・子不知」を越えてから、最初の宿場で

繁盛したようです。今でも、宿場の雰囲気が色濃く残っていました。


青海宿を抜けると、田んぼの中に、新しい家が立ち並び、僅かに

残る「街道松」とのコントラストが、奇妙に思いました。

青海は「ひすい」の産地として、古くから知られ、開けた所でした。途中

縄文期の遺跡「寺地遺跡」がありますが、失礼して先を急ぎました。

 

「姫川」を渡り「姫川港」の周囲にある工場群をグルっと廻って

進み「秋葉神社」の先から「糸魚川宿」へと入って行きます。

 

「千国街道(塩の道)」が分岐している「横町交差点」です。糸魚川宿は

「親不知・子不知」の難所を控え「塩の道」の起点でもあったので、大変栄えた

宿場町でしたが、2016年に「大火」があり、街の様相は変わっています。

左手すぐ(海側)に「塩の道」起点と、説明板があります。桝形を右折

すると「松本」方面へと続く「塩の道」です。この辺は、被災されて

いないようですが、無電柱化され、以前と比べてスッキリした印象でした。

 

被災し再建された宿場の中心(10/27撮影)です。雪国特有の「雁木」も

頑丈に再建され、道も広くなっていました。左手バスが停まっている所が

「加賀藩」の定宿だつた「旧本陣小林家」の家業「加賀の井酒造」です。

道路側に駐車スペース、奥に酒造工場が再建されていました。

 

被災・消失前(2013)の加賀の井酒造です。旧本陣らしい風格の

ある建物でしたが、今は駐車場等になっています。

かっての加賀の井酒造は、道路に面していました。

 

「大町交差点」の桝形で、糸魚川宿の中心部を離れて行きます。

無電柱化され、雁木が補強されていますが、人通りはありません。

 

旧街道をどんどん進み「海川」を渡り「糸魚川の街」を出て行きます。

この後、ほぼ真っ直ぐな旧道や、国道8号線をひたすら歩き「梶屋敷駅前」で

本日終了とし、糸魚川駅前の宿へと戻りました。約9時間のハードな行程でした。