昨晩(10/26)は、宇奈月温泉に泊まりましたが、宿代が随分「値上がり」

していました。コロナ前は、有名温泉地等は「宿代が高騰し」宿泊する

のは「外国人の富裕層」ばかりでしたが、又そうなりそうな気がしました。

 

昨日の終了地点「流灌頂」前から出発し、旧道を歩いて行くと、前方

に赤い「愛本橋」が見えて来ます。通って行く「愛本集落」には

「粕塚」や「愛本姫社」があり、伝承話や、逸話が残されていました。

 

愛本橋を渡ります。1662年、加賀藩により、黒部川の両側に山が迫る

狭隘部に、全長約62m、幅4 mの「刎橋」(木製アーチ形)」が架けられ

ました。今は「鉄骨の橋」ですが、江戸初期に、巨大な木製の刎橋を

造る技術があった事は驚きです。日本三大奇橋の一つだったそうです。

今の愛本橋より60m上流、前方の狭隘部に「刎橋」が

架かっていたようです。(現在の愛本橋から撮影10/27)

 

橋を渡ると、猿が私を睨んでいました。猿の被害に悩む過疎地

も多いです。県道を進むと加賀藩が、上街道に松を植え、住民に

管理させた名残の「往還松」が、所々に残っていました。

 

左手に「十三寺」や「藤保内神社」がありますが、以前「北陸33観音巡り」

で訪れており、今回は失礼しました。桝形があり「船見宿」(入善町)となります。

右が「本陣跡」です。船見宿は「船見城」(跡地は公園)の

城下町でもあった事から、昔からこの辺の中心地だったようです。

 

船見宿の外れに「入善」に向かう道との追分があります。

左は「入善の街」へ。   上街道は直進します。 

 

所々にある「石仏が集められた祠」を、見ながら進むと「東塚が現存」する

「横水一里塚」(朝日町)があり、塚上には、題目石と祠が立っていました。

 

県道をどんどん進み「小川」を渡ると「桜地区」です。

 

真っ直ぐな道に、切妻造りの家並が続き用水が流れ、

どこか、昔の街道筋を雰囲気を感じる所でした。

 

鉄道線を横断すると「泊宿」に入り、その先に五差路があります。

ここが「黒部川」を直接、渡河がして来た下街道との合流(追分)地点です。

判りにくいですが、右から来るのが「上街道」で、左から来るのが

「下街道」です。ここで合流し、上街道は右折して進んで行きます。

 

「泊宿」です。今は、大きな商店街になってますが、人通りはなかったです。

 

宿場内には、大きな寺が点在していました。宿場の外れに「木曽義仲」

が、打倒平家の戦勝祈願をしたする「脇子八幡宮」があり、参拝しました。

大きな神社でした。境内に弁慶が、黒部の山に片方の足を架け、

一跨ぎして、別の足で踏んだと言う岩がありました。弁慶って

「物凄い大男」と言う事になり「そんなアホな!!」と思いつつ。

 

脇子八幡宮を出ると、草むらに多くの「題目塔」があり、その先の

祠の中に「立派な石仏」が並んでいました。坂を下り「大きな欅」

の下に「親鸞聖人腰掛石」があり、大切に守られていました。

 

すぐに「海岸道路」に合流します。右手に「鹿島神社」があり、神職宅前

に「明治天皇御小休所跡」碑が立っていました。海岸道路から宮崎の街中

に入ると、物凄い豪雨となり、堪らず「越中宮崎駅」の駅舎で雨宿りしました。

宮崎の街です。駅に避難するまでに、私の横を通る何台もの自動車

が減速せず「撥ね上げる雨水」をまともに被り、難儀しました。

 

雨が小降りになったので、宮崎海岸を進みます。この海岸が「ひすい海岸」

と呼ばれる所で、海岸に出て「一儲け」と思いましたが、止めときました。

 

宮崎海岸から、一瞬国道8号線に合流しすぐ左折すると「境地区」です。

境地区は名の通り、越後(高田藩)と越中(加賀藩)の境です。

右手「境小学校跡」が、加賀藩の国境を守る「関所」(1614年)

の跡で、跡地を示す石碑と、奥に小さな資料館がありました。

 

国道8号線に合流する所、道より一段下がった木々の中に

「富山県で唯一原型」を残す「境一里塚」がありました。

 

小さな「境川」に架かる「境橋」を渡ると「越後の国」(新潟県)です。

 

又、雨が激しくなり「道の駅」で雨宿り休憩した後、国道を離れ「市振宿」へ

と降りて行きました。すぐ左手、小学校跡地に「市振関所」があったようで

関所の隣にあった本陣(跡)に「明治天皇小休所跡」の石碑も立っていました。

左、木のある所一帯が「関所(跡)」で、関所跡に残る榎は

「関所榎」(樹齢250年位)として、大切に保護されていました。

 

市振には、弘法大師が「杖で突いたら清水が湧いた」との全国共通の

伝承のある「弘法の井戸」があり、芭蕉が「一つ家に 遊女も寝たり

萩と月」という名句を残したとされる「桔梗屋」の跡も、ありました。

 

かっての旅人は「市降宿」から、海岸に出て、約10㎞の急峻な

崖下道「親不知・子不知」を「命がけ」で歩いていました。

今は、浸食されて歩けませんが、海岸に出て、暫く眺めていました。

本日は、ここ市振宿で終了です。この後、市振駅から入善駅に戻り

駅前のプチホテルに今宵の宿を取りました。約8時間の行程でした。