昨夜は、日奈久温泉の某旅館に連泊しました。設備は古いですが、部屋は清潔

で、料理内容も良かったです。温泉にゆっくり浸かり、熟睡しました。二日

とも、昼食用にと「おにぎり」を持たせてくれ、感謝です。お世話になりました。

 

「小田浦交差点」に戻り、出発しました。今日も「田浦の街」の「細い路地」

を「路面標示」や「木製道標」に沿って、何回も右・左折して進み、やがて

国道3号線に合流し「小田浦阿蘇神社」の先で「佐敷峠」へと入っていきます。

左に道標があります。ここから、舗装された坂道を登って行きます。

 

坂道の途中に、小さな集落へと降りる道があり、この道を

下って行くと「野添眼鏡橋」と、昭和54年の説明板がありました。

「薩摩街道」は、ここから「佐敷峠」を、登っていたようですが、

道標の先は「崖でしかも物凄い藪」が続いており、今は通行不能でした。

 

元に戻り、佐敷峠の中腹にある「滝ノ上集落」へと、坂道を登って行きます。

集落の「ふれあいセンター」に、説明板や道標があり、そこから、山中へと

細い道を登って行くと、旧街道で「佐敷峠」を越える道の入口がありました。

滝ノ上集落

 

佐敷峠に向かう「旧街道」を登りますが、かなり厳しい坂道でした。

崩落して、道筋が不明な箇所もあり、上に上へと登るしかないです。

 

例の「木製道標」が所々立っています。山中をキョロキョロしながら、注意

深く木製道標を探し、進む方向を確認しながら、しつこい藪蚊の攻撃を受け

つつ、倒木が道を塞く「道なき道」を登って行くと「石畳み」道がありました。

この石畳の石も、踏むと滑るし、崩落するので、横の綱を頼りに

足元を確認しながら、ゆっくりと、登って行きます。

 

やっと尾根伝いの舗装道路に出ました。斜面を利用して、ミカンを

栽培していた昭和期に農道として、旧街道を整備したようです。

 

周辺のミカン畑も、今は栽培が放棄され、荒れていました。尾根道を出入り

する「薩摩街道」の筋道がありますが、樹木が繁茂し、もう通れませんでした。

通行不可の旧街道

 

尾根道から、広い旧(国)道に出て、道なりに進むと、左へとU字型に曲がる

所があります。この辺が、峠の頂上らしいのですが、確証はありません。

左は、旧(国)道。    上へと続く、旧街道筋

 

旧街道は、現役の「ミカン畑」の中を通り、緩い坂で峠を下って行きます。

 

どんどん下ると、採石場に入る手前に「十八里木跡」の標柱がありました。

 

砕石場(要通行許可)の中を通り、旧街道の続きの「下り坂」を

(道標はないので)自分で探して、再度旧街道を下って行きます。

下りは、旧街道らしい道筋でしたが、歩いているこの道が本当に「薩摩街道」

なのか不安に思っている中、途中で道標を見つけた時は、正直「ホット」しました。

 

藪蚊に追われ、悪戦苦闘して、佐敷側に降りて来ました。

「佐敷峠」の旧街道も、殆ど通る人のいない、厳しい道のり

でした。この峠も、最初から旧(国)道を歩く人が多いと聞きます。

 

「佐敷の街」に入ります。佐敷は「人吉街道」が分岐する所でもあり「佐敷川」

沿いに、旅籠や寺院が並ぶ宿場町でした。ここには、薩摩藩の定宿(現薩摩屋)や

熊本藩主の休憩所である「御茶屋」、葦北郡の政庁「郡代詰所」等がありました。

 

「佐敷中学校」の先、高速道路の高架下付近に「人吉街道」が

分岐する「追分」がありましたが、消滅しています。木製道標

に従い、旧道を南下して行くと「十九里木跡」の標柱がありました。

 

「佐敷の街」を抜け、舗装された広い道で「湯治峠」を越えて

行きますが、この峠道「勾配のきつい坂道」で、しんどかったです。

途中に「旧薩摩街道」の道筋が残っていますが、通行不能でした。

 

「湯治峠」を下り、山沿いの道、線路沿いの道を進んで行き

ます。本来の「薩摩街道」は、山側を通っていたようです。

 

「木製道標」や「路面標示」に従い「湯浦川」を渡り「湯浦の町」へと入り

ます。「星野富弘美術館」がありましたが、入館する余裕が、無かったです。

 

「三太郎峠」の最後となる「津奈木峠」へと向かいます。この峠の

状況は「全く情報がなく」不安でした。この先で住民の方が、立ち話

されていたので、伺うと「高速道路の工事」で街道筋は寸断されて

おり、残る街道筋も「藪に覆われて」通行できない。と教えて頂いた。

仕方がないので、歩いて来た道を戻り「国道3号線」で津奈木峠を

迂回し、峠の出口にある「千代塚」(津奈木町)へと、歩いて行きました。

 

「2時間以上ロス」して「千代塚」に到着し、再出発です。千代塚は

「孝行娘・千代」を、顕彰するもので「儒教を尊し」とした江戸期は

このような「親孝行話」を、顕彰する石碑等が、全国に残されています。

左側が千代塚。

 

新しい「木製道標」に従い、国道をガードで潜り、舗装された旧道

を歩いて行きます。「寺前眼鏡橋」の先に木製道標と「二十一里木跡」

の標柱がありました。一つ前の「二十里木」は、津奈木峠の中です。

 

旧道から国道3号線に合流して進むと、最南端の日本酒蔵「亀萬酒造」

があり、丁度「蔵開き」イベントをされていました。参加して試飲する

元気もなく、この先のバス停から、路線バスで「水俣」へと向かいました。

今日は、佐敷峠、津奈木峠越えの日として、緊張感をもって臨んだ一日

でした。もう少し、前に進みたかったのですか、津奈木峠で時間ロスを

してしまい、ここで終了としました。約9時間の行程で、本当に疲れました。