特に他意はないですが、九州を西回りに歩いて半周した記録です。良かった

ら読んでみて下さい。出発は、通説に従って「諸道の起点」とされる小倉の

「常盤橋」としました。歩くルートは、ネット上にある「各種街道地図」や

各地の「行政が発行」している「歩きマップ」に、準拠しています。

 

「常盤橋」は、江戸初期「小倉の城下町造り」の一環として、手前の

「町人町」と向こう側の「武家屋敷」を結ぶ橋として「紫川」に架け

られました。以後「九州各地への諸街道の起点」とされましたが、明治

に入り、他の場所に「近代的な橋」が架けられ、その役目を終えています。

早朝の常盤橋です。平成7年、昔の橋をイメージして再架橋されました。

橋を渡ると「旧長崎街道」が始まります。左手に「小倉城跡」があり

ますが、ビル陰で城は見えません。右側は、昔は海だったようです。

 

街道は、すぐに小倉の市街地を南下します。暫く歩くと、小倉城内から

長崎街道へと出て行く、城門「到津口門(跡)」がありました。この門は、

昼夜を問わず開門しており、常時20人の役人や番人が、いたようです。

到津口門(跡)

 

暫く歩くと「1500年前」から湧く「湧水」がありました。この湧水は、

街道を歩く人たちの喉を潤し、束の間の休息を取る場所だったようです。

湧水には「水かけ地蔵尊」が祀られ「湧水池」の壁には石仏が

刻まれていました。今は「飲み水禁止」で飲めないようです。

 

少し先の道路脇にある「荒生田一里塚碑」を見て、更に進むと

「従是(これより)西筑前国」と彫られた大きな「境界石」がありました。

幕末に福岡藩が建てたもので、当時の位置にそのまま立っています。

かなり大きいです。この先からは「福岡藩だ」と主張しているようでした。

八幡東区から筑前国ですので、北九州市の真ん中が、国境とは吃驚です。

 

この先の「図書館」の敷地にも、国境石が二基保存されてましたが、

欠損していて完全な形ではなかったです。更に進むと公園内に立派な

「前田一里塚跡碑」がありました。ここは、長崎街道の起点

「大里港(門司)」から五番目の一里塚で、松が植えられていたそうです。

大きな一里塚跡の石碑です。この前にあった「荒生田一里塚碑」も

大きかったです。全国の一里塚跡は、説明板のみとか、木柱・石柱

の類が多いので、こんな大きく立派な石碑がいるか?とも思いました。

 

最初の宿場「黒崎宿」にやって来ました。宿場の出入口には

「構(かまえ)口」という番所があり、役人が旅人等を、監視していました。

通常は、街道筋の左右に石垣を積み、防備を固めて、関所のように、

監視していたようです。左の宝篋印塔のある所が、跡地の一部です。

 

黒崎宿へと入りますが、かっては「御茶屋(本陣の事)」や旅館等が並んで

いましたが、今は石碑等があるだけで、宿場町として雰囲気はありません。

街道を進み、商店街の中を通り「西の構口跡」で、黒崎宿

を抜けると、すぐに「曲里(まがり)の松並木」があります。

 

松並木道は、公園風に整備されていました。江戸期の

松並木なのですが、松の多くは細く、最近の植栽に思えました。

松並木をのんびりと歩いていると、すれ違った親子の、母親が

子供を叱る「九州弁」に迫力があり、思わず聞き惚れてしまいました。

 

「幸神の一里塚」や「涼天満宮」を見て、国道211号線と旧道を

出入りしながら進みます。昔は「小嶺一里塚跡」付近から、アケ坂、

石坂と呼ばれる、険しい坂道が始まる、難儀な峠道だったようです。

その難儀な峠道も、今は整備・改修されていますが、それでも結構な

勾配の坂道でした。坂の頂上付近に、かって大名等が休息した

「立場茶屋・銀杏屋」が、今も残っており「一般公開」されていました。

 

かっての急坂の名残を残す、石坂を下って行きます。

 

下ると「茶屋の原一里塚」がありました。小嶺一里塚から、すぐなので

すが、アケ坂、石坂など険しい坂道を配慮して短い距離に設置している

そうです。一里塚から、暫く歩くと「木屋瀬宿」となります。

「東搆口」付近です。この先にある「木屋瀬宿」は、かっての宿場町

の雰囲気を、今に残す、素晴らしい所でした。

 

「木屋瀬宿」の中心地です。右手の家が、旧御茶屋(本陣)で、ここに

あった本陣門は、宿場内にある「永源寺」の裏門として移設されています。

 

石垣の残る「西構口」跡です。構口を出て、右折すると「遠賀川」の

渡し場を経て、福岡へと通じる「赤間道」。長崎(飯塚)街道は直進します。

前方のミラーの下に江戸中期の道標(レプリカ)が立っていました。

道標には「右赤間道」「左飯塚道」と書かれています。

 

この後は、遠賀川沿いの県道を、どんどん歩いて南下します。途中

旧道で「感田」の集落へ入りますが、又県道に戻り、進んで行きます。

今日は、この先の「日の出橋」で終了とし、すぐ近くのビジネスホテルに

向かいました。初日は、約8時間の行程でした。私は、基本昼食は抜くか、

小休止して食べるパン類等ですので、ほぼ時間内は、歩きつづけます。