最初は「金剛寺」です。平安末期、高野山の僧「阿観」による再建・整備と伝わりま

す。南北朝時代は南朝二代目「後村上天皇」の行宮(仮宮殿)が6年間置かれ、南朝方

の拠点となりました。北朝方の「畠山国清」に攻められ、寺の一部が消失しますが、

その後は戦火に会わず、豊臣氏や徳川氏の庇護の受け、現在に至っています。

楼門(重文)

以前は無料で、ここから自由に境内に入れましたが、今は本坊で拝観料等を払って

からの入山に変わっていました。寺の施設を維持する為には必要な事なのでしょう。

 

南朝「後村上帝」の行宮・摩尼院です。非公開でしたので塀越しに撮影しました。

 

金堂(重文)。右に見える「食堂(じきどう 重文)」は「南朝の政庁」として

使われました。金堂前の水桶(?)は石が「くり抜いて」あり、吃驚しました。

 

国宝「大日如来」。金堂内に入ると、格子越しに拝観できますが、撮影禁止

なので寺の資料から転載しました。想像より大きな立派な仏さまです。

天野酒

日本酒は、古来朝廷内で「宮中祭祀用等」に醸造されていましたが、鎌倉期

頃になると、お寺で盛んに醸造(僧坊酒)される様になります。「金剛寺」で造ら

れる「天野酒」は、高級品として秀吉にも愛飲され、お寺の経済を大いに潤した

ようです。今、その復刻版が地元酒造メーカーにより製造・販売されています。

 

次が「観心寺」です。弘法大師が名付けたとされますが、実質的な開祖は、

一番弟子の「実恵」です。南河内の土豪「「楠木氏」の菩提寺でもあります。

金剛寺の後の「行宮」が観心寺です。後村上天皇の陵墓はこの寺にあります。

国宝・金堂

金堂は、南朝の初代「後醍醐天皇」が楠木正成に命じて、建立したとされ、

ご本尊の「如意輪観音(国宝・秘仏)」は「空海作」と伝わりますが・・??。

金堂前の礼拝石

「弘法大師の礼拝石」と説明されていましたので、

空海がこの石に座って礼拝したと言う事なのでしょう。 

 

楠木正成は、湊川の戦いで討ち死にし、首は足利尊氏

の命により、この寺に届けられたとされ、首塚がありました。

楠木一族は、正成・正行親子は南朝の忠臣して有名ですが、楠木家三代目の

(正成・三男)正儀も、優れた武人で、南朝の総大将として活躍した人でした。

彼は「長慶天皇」(南朝三代目)の方針(主戦)と会わず、北朝方に寝返ったり、

南朝に戻ったりしましたが、彼の努力等で南北朝は統一されて行きます。

正儀以降の子孫は不明点も多いが、楠木一族として存続しているようです。