伊豆の「修善寺温泉」に出かけてみました。途中「北条の里」の案内板

があり「鎌倉・北条氏」の故郷(守山地区)との事なので、立ち寄ってみました。

 

案内板に従って進むと、路地の奥に「北条政子産湯の井戸」があり

ました。この辺から「狩野川」にかけて「北条氏邸」があったとされます。

政子の産湯井

民家の石垣の所に石造りの立派な井戸がありました。昔は「安産祈願」として、

妊婦さん等が井戸水を飲んでいたと説明されていましたが、今は飲用禁止でした。

 

時代は異なりますが、すぐ近くに「(伝)堀越御所跡」があります。室町幕府は、

関東を治める役職「鎌倉公方」を置きましたが、その鎌倉公方(古河公方)が、幕府

に謀反した為、新たに送られた鎌倉公方(堀越公方)が、住んでいた所のようです。

 「堀越御所」は1493年に、伊勢宗瑞(北条早雲)に攻められて焼失しています。

 

更に進むと「北条氏邸跡」があります。ここが「北条氏の故郷」で、北条氏は

その後、鎌倉に移り住み「執権として権力」を握りますが、幕府滅亡と運命を

共にします。その時に残された「女性の遺族達」が尼僧になり、ここ北条邸宅跡に

尼寺「円成寺」を建て、一族の菩提を弔った所で、江戸期まで存続していたそうです。

結構広い跡地でしたが、発掘中で荒れていました。

 

近くに「北条時政」が一族の菩提寺として、1189年に建立した

「願成就院」があり、鎌倉期の「国宝仏像5体(運慶作)」等の文化財を

多く所有、北条時政や最後の堀越公方「足利茶々丸」の墓があります。

時政の墓足利茶々丸の墓

願成就院に参拝しましたが、和尚さん?が外国人で吃驚しました。境内は狭いですが

戦乱で消失し、江戸期の再建のようです。北条氏は、時政以前の明確な資料がなく

この辺(田方郡北条)を拠点とした「在地豪族」だった事以外はよく判かっていません。

 

宿泊にはまだ早いので「修禅寺」等に参拝しました。地名は修寺で

寺は修寺です。ややこしいですが、禅寺の古刹として有名な寺です。

修禅寺

寺の手水舎は温泉です。

 

寺の下、修善寺川(桂川)畔にある「独鈷の湯」があります。

今は、足湯になっていましたが、かって私は、深夜に入浴した記憶が

あります。場所も違ったような気も・・・。

 

 

修善寺の街には、源氏一族の暗い歴史が、刻まれています。

源頼朝の弟「源範頼」は「平家追討」や「奥州藤原攻め」

で活躍しましたが「鎌倉幕府」が発足すると、頼朝に疑われ

「謀反人」として「信功院」(廃寺)に幽閉・殺害されたとされます。

「範頼の墓」は、街から少し離れており、誰にも会いませんでした。範頼

の子孫は「御家人・吉見氏」として存続しており、謎の残る事件です。

 

ここでは、二代将軍「源頼家」も幽閉・暗殺されています。21才の若さでした。

彼の冥福を祈って、実母の(北条)政子が建立したお堂(指月堂)が残っています。

源頼家の墓

坂を登ると「右手に蓮の花をもった釈迦如来」が迎えてくれます。

お堂の左手に頼家の墓がありますが、ここも訪れる人はいませんでした。

                     

夜は名湯「修禅寺温泉」の某旅館で、一年の疲れを取りました。