丹後半島を一周しようと思いましたが、まずは、網野町(京丹後市)出身の

「野村克也」氏の記念館に行きました。この地で産まれ、テスト生から

高名なプロ野球選手になられた方で、私には、神様のような存在でした。

 

最近亡くなられ、残念です。ご冥福をお祈りします。

 

さて、今晩は同町内の「木津温泉」に宿をとりました。「松本清張」の推理小説

「Dの複合」の冒頭に出てくる、1200年の歴史を誇る「古い温泉」です。

松本清張・宿泊の部屋

1200年前から湧く、源泉かけ流しのお風呂

 
次の日「竹野(たかの)神社」(京丹後市)からスタートです。創建時期は不明です
が、聖徳太子の弟「麻呂子親王」の鬼退治に因む「絵巻物」や鬼の墓「鬼神塚」
がある事で有名です。代々、桜井氏の子孫が宮司(当代 59代)を、勤ておられます。

竹野神社

境内で、若い女性を数人見かけました。パワースポットとして人気があるようです。
 
次に丹後半島先端にある「経ケ岬灯台」に行きました。この灯台は、
日清戦争後の我が国の「海運業保護」の必要性から、明治31年に初点灯
した「日本海側屈指の灯台」です。別に、軍事的使命もあったようです。
灯台へは、駐車場から、片道約20分の結構「アップダウン」の
ある道です。岬の先端にあり、眺望は、素晴らしいものでした。
 
少し先にある「浦島神社」(伊根町)に行きました。神社は「浦嶋明神縁起絵巻」
(重文)「乙姫小袖」(重文)亀甲文櫛笥の「玉手箱」等を所蔵し、奈良期の
「丹後風土記」に記載された「正統な浦島伝説」を持つ神社(祭神 浦嶋子)です。
由緒正しい神社なのですが、地理的条件が悪いようで、参拝客は
少なく、隣にある「集客施設?」も閉鎖されていました。
 
道なりに進むと「伊根の町」に入ります。行く度に、新しい店舗が
出来ており、伊根はTV放映も多く、活況があるようにも思いました。

 

 

丁度昼時なので、舟屋の見えるレストランで、名物の「ぶり丼」

を頂きましたが、時期的に冷凍なのかも、知れません。

 

 

更に、道なりに進むと「天橋立」に到着です。ここには、古い歴史を

持つ「丹後一宮」で、元伊勢を称する「籠(この)神社」があります。

祭神は「天照大神」の孫「彦火明命」で、その子孫「海部氏」が、

代々宮司を務めており、その家系図「海部氏系図」は「国宝」です。

 

籠神社から、少し離れて「真名井神社」があります。ここは、籠神社の

「元宮」で「天照大神(内宮)」や「「豊受大神(外宮)」が伊勢に鎮座される

以前に「吉佐宮」として、鎮座していた所(元伊勢)と、伝わる場所です。

久しぶりに訪問すると、境内整備がされ、拝殿より奥は柵で囲われて、

以前の様に、自由に散策出来ませんでした。個人的には残念な気持ちです。

 

天の橋立を一望する「笠松展望台」に登りました。絶世の美女「小野小町」が

腹痛に襲われ、着物をめくって用を足した際に「足の間から見た」「天橋立」

が素晴らしかったのが「股のぞき」の始まりと、されますが?・・いささか??

小野小町が用を足した「大内峠」には「股のぞき発祥の碑」が立っています。

笠松展望台からの景観

 

最後に「三人寄れば文殊の知恵」の「知恩寺・文殊堂」に参拝しました。

子供の頃、天橋立は毎年「町内会主催」の恒例「子供海水浴・バス旅行」

で、よく来た所で、その時には必ず、一列に並んで、参拝させられました。

その時に見た「地獄絵」が怖かった事や、土産に売っていた「桃売り」

のおばさんが、肥満だった事を今でも、鮮明に覚えています。丹後半島は、

食も豊かで温泉もあり、観光地も多く、1日「十分楽しめる」所でした。