「明智光秀」が「本能寺」に向かったと推定される「老ノ坂」を歩きました。

出発地「亀山城(跡)」は、私有地で「立入禁止」の為、光秀が「必勝祈願」を

したと伝わる「篠村八幡宮」(亀岡市)からスタートしました。

篠村八幡宮は「足利尊氏」が反鎌倉幕府の挙兵をし、京都・六波羅探題

にいた北条一族を攻めた所で「尊氏挙兵の地」として有名です。光秀も

同じ源氏(光秀は美濃源氏・土岐一族?とされる)の血を引くものとして、

本能寺にいた信長を攻めるに際し、感じるものがあったかも知れません。

 

暫く歩くと「王子神社」があり、旧街道の案内板があります。その指示に

従い「船着場跡」や「占い石」等の旧街道の史跡を見て進み、道なりに

大枝山(おおえやま)への急な坂道を登って行くと、小さな集落に出ます。

「大江山の鬼退治伝説」の大江山は、ここ「大枝山」だとの説があり、

集落の外れに酒呑童子の首を埋めたとされる「鬼首大明神」が祀られ

ていました。「大枝の坂」が訛って「老ノ坂」になったと言われています。

 

丹波の国から山城の国に入ります

 

「一の谷」に向かう「源義経」や「足利尊氏」「明智光秀」等が

通過したと思われる「老ノ坂の峠道」です。残念ながら、旧峠道の

地道部分は短く、すぐに改修された、普通の舗装道路になります。

峠の地道部分は短いです。

 

長い舗装道路で京都霊園の横を、下って行くと「国道9号線」に出ます。

篠村八幡宮から国道を渡る(横断)地点まで、約1時間半の道のりでした。

 

旧山陰道は、京に向かって更に「老ノ坂」を下って行きます。

開発が進み、住宅地となりますが、途中に竹藪の道が少し残っていました。

 

この後「旧樫原宿」を経て「桂の街」を過ぎ、桂川に出ます。

光秀は「老ノ坂越え」の後、どのコースで「本能寺」に向かったかは不明です。

 

本能寺跡
この事件で消滅した「本能寺」は、別の場所に移転・再建され、

かっての本能寺跡は住宅地等になり、記念碑以外は、何も残っていません。