能登震災の報に接し、被災された全ての方々にお見舞い申し上げます。

昨日(1月17日)は、朝から行政の「緊急地震情報(訓練)」の鳴動音が激しく

鳴り響き、29年前「阪神淡路大震災」で被災し、我が家が倒壊した事を、思い

出させました。あの日も寒い日でした。今回の能登震災に際し、一日も早い

「被災地」のも早い復興を願いつつ、2019年に訪れた輪島を綴ってみました。
 

「珠洲」から「狼煙灯台」に立ち寄り、海岸線を進むと「ゴジラ岩」が

あります。小さいですが、ゴジラが上陸する姿が想像できる所です。

海岸線から少し離れており、干潮でないと、近づけないです。

外海に直接面しており、津波でやられていないか心配です。

 

更に海岸線を進むと「白米千枚田」があります。今では「道の駅」

や「展望所」が整備がされて、すっかり有名観光地になっています。

駐車待ちの自動車が溢れ、大混雑でしたので、寄らず失礼しました。

写真は25年前の「道の駅や展望所」等が、整備される前の様子で

余り人の来ない所でした。今回の地震で、地割れしているようです。

 

千枚田の少し先に「上時国家」(重文)があります。源平合戦の後、能登に

流罪となった「平時忠」の子「時国を祖」とし、ご子孫の方が、代々居住

されていた、重厚感のある建物で「古い歴史を感じ」させる家です。

残念ながら、倒壊しているとの情報に接しました・・・。

 

上時国家のすぐ近くに「南惣美術館」があります。鎌倉期から続く

「元庄屋」の家で、書画・陶器宿、貴重な美術品を多く所有しています。

左側の米蔵を改装して、展示室にされています。重文クラスの収蔵品

を見られる美術館でしたが、・・。多くの美術品は大丈夫だろうか

 

輪島の市街地に入ると「キリコ会館」があります。場所を移転していて

新しくなっていました。「切籠(キリコ)」は、主に夏祭りに登場する

巨大な灯籠で、能登独特で「形や呼び名」は能登の各地区で異なるようです。

60年近く前、輪島出身のM君に連れられて、初めて輪島に行った時

丁度「夏祭り」で、川に沿って、多くの「キリコ」が立ちならんで

いたのを思いだします。朝市(夕市)も賑やかでした。

 

市街地を離れ、海岸線を進むと「大沢地区」があります。海からの強い風雪

を防ぐ「間垣」が集落を囲んでおり、朝ドラ「まれ」の舞台になった所です。

漁村でもある集落は、外海と直結しており心配です。

 

門前地区にある、曹洞宗の古刹「総持寺祖院」です。有名な僧「瑩山紹瑾

(けいざん じょうきん)」開山の寺で、曹洞宗(総持寺派)の本山でしたが、明治

に「大火に遭い」本山は「横浜の総持寺」に移転、ここは祖院となりました。

                 

2007年の「能登地震」で被災し、2019年の訪問時は、まだ補修中でした。

最近、やっとその補修が終了し「記念の法要を準備中」との事でしたが・・・。

今回の地震で、全ての伽藍や回廊などが、倒壊しているとの事です・・・。

 

能登の「名舟地区」に伝わる「御陣乗太鼓」です。輪島で良く利用する

ホテル「高州園」に専用の演舞場があり、良く拝見させて頂きました。

ホテル「高州園」さんや「御陣乗太鼓」の演者の方々も被災され

大変な思いをされていると思いますが・・再び「御陣乗太鼓」の

「太鼓の音が響く日」が来る事を信じて、頑張って欲しいです。

 

50年以上前、家業を継ぐ為輪島に戻った、元同僚の「M君の結婚式」に

列席し「長時間の宴会」と「持ちきれない引き出物」を貰らった記憶が

あります。その時の引き出物の一つが「輪島塗」の額でした。あれから

50年以上経ちますが、M君の思い出と共に、家に大切に飾っています。

「輪島塗」の業者も壊滅的な被害を受けたようです。

今はただ、1日も早い復興を祈るのみです。

 

災害はいつ起こるか、誰にも分りません。私も阪神間で、地震に遭うとは夢にも

思いませんでした。固く寒い板張りの床上で寝る。当たり前と思っていた

「水や電気・ガス」が来ない。食べ物がない。自警団を創り「寝ずの巡回」等を

経験しました。その時、腹が立ったのは、多くの無関係の見物人?が、写真を撮る

姿でした。被災地は、見世物ではないのです。今、能登震災の報に接し、寄付する事

しかできませんが、復興したら能登に出かけ、一杯買い物をしようと思っています。