今回も平坦なコースです。「熊野詣」は江戸期には廃れたようで、しかも新た
に「紀州街道」が整備され、こちらが利用された事により、かっての熊野街道
の道筋や王子社の場所等は、ハッキリしない所が多いです。
新年(2026.1.10)早々「久米田駅」に戻り、前回終了地点から出発です。「府道
30号線」をどんどん南下し「作才町交差点」から、旧道へと入って行きます。
旧道を歩いて行くと、以前「溜池」だった所が、その土手(堤防)を
含め消滅し、新築住宅街となっていました。正に「十年ひと昔」です。
参考までに、以前の写真を貼っておきます。旧道(土手道)は、
変わらないと思うので、ほぼ同じ位置の?気がしますが??。
←堤防の向こうは「溜池」でした。
旧道を進むと、道は「津田川」で遮断され、消滅していますので
津田川の手前を右折して「府道30号」に合流・左折します。その
すぐ先にある「三和製作所」内に「⑬麻生川王子」があったようです。
右手、敷地内にある会社の「末広大明神」(赤い鳥居)が
「麻生川王子跡地」にも見えますが、偶々のようです。
「三和製作所」の先で、府道から左の旧道に入り進んで行くと
左に「現存する」熊野街道の一里塚「半田一里塚」があります。
←樹々のある所が「一里塚」です。
旧道をどんどん進むと、右手「鳥居のある所」の地蔵堂に「道標
地蔵」があり「右 大ぐり道(小栗道)・・」と刻まれていました。
街道は「自動車学校」を右折して、府道を少し戻り、左折します。
分かりにくいですが、右手灯篭の横に「地蔵堂」↑があります。
その先「追分地蔵」のある三叉路を、左に進み「水間鉄道」の踏切を
渡り、泉州に多い「溜池」の土手道を進んで行きます。「石才会館」の
横に偶に見る、小さな石に牛神と書かれた「牛神」が祀ってありました。
溜池は、水が抜いてありました。目的がある事なのでしょう。
府道40号線の高架を潜って、坂を下ると「積善寺城」跡です。
「根来衆」の城で、岸和田を拠点にした「三好氏」や「秀吉軍」
と戦った「近木川」を、天然の堀とする「難攻不落の城」でした。
橋の向こうが、「積善寺城跡」です。根来衆って「紀州の集団」
と認識されていますが、泉州の南部は根来衆が支配していました。
橋を渡り、坂(長谷川の坂)を登りますが、立派な家の多いです。
その先、街道は「和泉橋本駅」の工事等で消滅しており、右折し
踏切を渡り「橋本交差点」を左折して、府道に合流して進みます。
府道を進むと、右手「南小学校」の角に「細い道↑」が残って
います。これが「熊野街道」で、この道を直進して行きます。
街道筋を進むと、右奥に「⑭鞍持王子」の跡とする「正福寺」が
あり、次の「⑮近木王子」は、少し先の「善正寺」付近に、かって
あった「熊野権現社」ではないかとされますが、定かではありません。
「南近木神社」です。上記2社はこの神社に合祀されています。
「南近木神社」の角を左折し、すぐに右折して「善正寺」の前を通り
道なりに「見出川」を越えて、右方向に進んで行くと「⑯鶴原王子」
跡とされる「貝田町会館」があります。この王子社も異説があります。
貝田町会館は、街道筋から左に曲がったすぐ先にあります。曲り角に
あったり目印の「テニス教室」がなくなっており、迷いました。
「溜池」の横を通り、府道を「迂回する形」で横断して進み、再度府道
に戻りますが、すぐに又左の旧道に入り、溜池の横を進んで行きます
ここの溜池は満水でした。
溜池の先を、更に進むと「戦死記念碑」が立っていました。「戦死が
記念」?と思いましたが、詳細は不明でした。その先で「佐野川」を渡り
「鉄塔のある道」へと左折して進むと、右に「⑰佐野王子」跡があります。
右に入った小さな公園に、石碑が立っていますが「判りにくい」です。
街道筋に戻り「国道26号線」を横断し「佐野高校」の
前を過ぎると、角に「追分道標」のある家があります。
熊野古道を歩かれた女性(街道てくてく旅・NHK 2010年)
が、この家で「習字を習われていた」のを思いだしました。
街道筋を直進し「長滝北交差点」で国道を横断し、ひたすら歩くと
「樫井地区」です。この辺は「大坂夏の陣」で激戦が行われ、豊臣方が
惨敗した所です。地区の入(出)口に「塙団右ヱ門」の墓がありました。
五輪塔は、江戸初期に造成され、幕末に塙氏の子孫で、島根県
の「たたら長者・桜井氏」が補修したと、説明されています。
「塙団右ヱ門墓」のすぐ先、右手にある「いずみモータース」の敷地
内に「⑱籾井王子」があったとされ、その跡地を示す石碑がありました。
「泉モータース」さんの「居宅は新築」され、庭にあった石碑
は居宅と分離され、囲われていました。「十年ひと昔」です。
街道を進みますが、この辺は「紀州街道」でもあり、当時の道幅のまま
で狭いです。右に豪農だった「奥家住宅」(江戸初期、重文)があります。
「樫井川」の畔にある「夏の陣・古戦場跡」の石碑を見て進み、坂道
を登ると、右手にある「一岡神社」の敷地内に「海会寺跡」があります。
「飛鳥時代」の創建で「法隆寺式伽藍」のある「大寺」だったようです。
海会寺跡
更に坂道を登り、街道筋が左にカーブする地点を、右に入り
進むと「ゴルフ練習場」の角に「⑲厩戸王子」跡がありました。
街道筋(紀州街道)からは、少し離れていました。かっての街道は
「一岡神社」から、ここ「厩戸王子」へと、続いていたのでしょう。
街道を更に進み、かっては紀州街道の宿場町「信達宿」だった
「信達地区」へと入ってきます。ここには、右に「角谷・本陣家」
左に「江戸期の常夜灯」が残っています。
「角谷・本陣家」↑
信達地区を抜け「大鳥居交差点」を過ぎると、坂道となり
右手に、公園風に整備された「伝⑳信達一ノ瀬王子」跡があります。
右手、樹木のあるところが「伝・王子社の跡地」⤴です。
街道は、坂を昇り降りし「岡中交差点」を左折、JR線を越えると
「楠木の巨木」がある「岡中地区」へと入ります。道が細いです。
←巨木のある社へ 街道は直進↑します。
岡中地区を抜け、広い舗装道路に合流すると、結構厳しい「峠の坂道」
です。やっとの思いで峠を越え、坂道を下ると、右手「和泉鳥取駅」横
に「大きな鳥居」があります。その辺が「㉑長岡王子」跡とされます。
参考までに、15年位前に通った時の「琵琶岸懸道」を貼っておきます。
「琵琶岸懸道」を通った先に「㉒地蔵王子」跡がありました。
今は、舗装道路を進み、王子跡のある住宅街へと後戻りします。
「地蔵王子」跡は、児童公園になっています。ここの「ご神体」は
山中集落の「地福寺」に子安地蔵として移転しているそうです。
元の舗装道路に戻り「雄ノ山峠(標高180m)」に続く、坂道を登り
「府道64号線」に合流した後も、更に坂道を進んで行きます。やがて
「三国鉄工」下の空き地に「㉓馬目王子」跡の説明板が見えてきます。
説明板↑と石碑があります。
その先で「府道」と別れ、左にある「山中集落」へと入って
行きます。集落は「雄ノ山峠」を控え「紀州街道の宿場町」と
して栄えた所で左手に「三沢・本陣家」が残されていました。
この先のJR「山中渓駅」まで歩き、本日終了としました。約8時間
の行程でしたが、最後が坂道の連続で「しんどかった」です。この先
は「雄ノ山峠」を越え「和歌山県域」へと、進んで行きます。

























