昨年の暮れに
国民を巻き込んだ大きな変化が起きました。
語りたいこともネタ元も
山ほどあったのですが
ワクワクするビジネスプラン(人物も含め)との出会いがあって
そのチームに参画することを決めたので
プランの具体化を推進することにパワーバランスの配分を重くしていました。
「政権奪取」を旗印に
大きな期待を背負った前政権は
古い政治、もやもやした政治、毎年国家元首が変わる政治に変化を与えるべく
いろいろなことにチャレンジしました。
いろいろなことにです。
選挙というものは昔から
どこの国においても
大勝の後の大敗という振り戻しが起きることは周知の事実で
今回もその通りの結果が出ました。
きっと今回の変化は
後戻りではなく
反省と進化が伴うものであると信じながらも
その一挙手一投足を
ジロジロとウォッチし続けていかなければなりません。
投票率が60%にも満たなかったことは残念ですし
ダサい事この上ないのですが
工夫の余地というか
このあたりにも変化の伸びしろがあると考えるほうが前向きだと思っています。
良く聞くのですが
「投票しないことが意思表示だ。」
これは、投票に行って白票を投じた人が言うセリフであって
棄権は、単なるサボりです。(もちろん様々な事情で投票所に行くことができない方々は除きますが)
選挙がらみでもうひとつ何とも、もやもやしていることがあります。
東京都知事選挙です。
前回、ぼくの周りの若い人たちの多くが
元タレントで元南の国の県知事さんだった人物に投票したと言っていました。
その人は、前回169万票の得票を得て二番目の評価を得ていました。
その後彼はテレビに出て敗戦理由を聞かれる度に
「いや~、あの人が不出馬だって聞いてたんで。」
と答えていました。
もちろんテレビですから、いわゆるリップサービスもあるのでしょうが
何とも人をくったような発言をするものだなと良い気持ちがしていませんでした。
今回は彼が言うところの「あの人」が都知事を辞任するから実施される都知事選挙でした。
もちろん国政選挙が行われることが決定的だったこと
さらに、副知事さんを推薦しながら知事さんが辞めたことなど
様々な要因があったことは事実ですが
都知事選に出ないということは
前回の出馬は何だったのでしょうか。
東京都知事としてやりたいことがあったのではないのでしょうか。
結果的に
都知事選での宿敵と同じ政党に所属することとなり
見事に国会議員に当選されたようですが
その口から発せられる
「是是非非」というフレーズは
何ら説得力を感じることができないことは
言うまでも無いでしょう。
彼を個人攻撃するつもりは毛頭ありません。
現在のポジションで
その志を全うするよう健闘を祈るばかりです。
しかし
これこそが
投票率を低下させているドロドロした根っこだということも理解しなければなりません。
さてさて
前政権政党の行動をマーケティング的に置き換えてみると
上手くいかなかった原因が
あっさりと見えてきます。
商品の売り方に問題があったのです。
50数年続いた結果ブラックボックスの巣窟となっていた部分を
たくさん日の当たる場所に引っぱりだして
そのブラックボックスを片っ端から開けようとしました。
中には「パンドラの箱」と呼ばれるものもあったにも関わらずです。
もやもやが解消されたブラックボックスもありましたが
やはりパンドラの箱と呼ばれるものには
それなりの歴史や理由があったのです。
チャレンジは素晴らしいことだと思います。
無謀と思われるチャレンジが、新たなる考えや仕組みを考えだすきっかけになることは少なくありませんから。
ただし、対応力が伴わなければ
それは、愚行と呼ばれることになります。
もちろん結果が出るまでに時間がかかることもありますから
途中経過で評論することは無責任なことでもあります。
少し前の日本のモノを売る現場を思い出してください。
失敗例を思い出さなければなりません。
「あまねく広く売ろう。」
品質で差別化が難しくなったモノ余りのマーケットにおいて
「あまねく広く売ろう。」
こんな考え方で
商品のモデルを増やす
同時に価格競争力などという大義名分のもと価格を下げる(コストダウンでの技術力アップには貢献)
その挙句に大赤字。
誰に何を売るのか。
そんな簡単なことがアタマに無かった時代。
これが前政権与党の三年半の総括です。
逆に言えば
それくらい
手を付けなければならないことがあったということにもなるでしょう。
私たちの住む日本国においての
変化は
進化であって
改善だと思います。
あまねく広く
しあわせが拡がっていくことを
心から願い
自分でできる範囲で
できることを
淡々とやっていく
シンプルに。
This is HASHIMOTO☆QUALITY