自称ACと気付くまで 4 | 今日も元気におきらくごくらく~ACとうつからの脱出~

今日も元気におきらくごくらく~ACとうつからの脱出~

幼い頃の辛い記憶&心の闇・うつ病と闘っています。
我が子たちに心配されない母になれるかな?

私が小学生になったころ。


父の兄の会社が倒産するに伴い、家に戻ってきた父。


資格だけはたくさん持っていたので、すぐに新たな就職先は決まった。


地元の中小企業だった。


って事は、毎日家に帰ってくる・・・



イヤだった。



一応私の認識の中では、時々泊まりに来るおじさんから、父親に昇格した。


新居に引っ越したのもちょうどその頃。


抱えてしまった借金と、住宅ローン。


両親が共働きをすることで少しずつではあるが借金が減り、ポストに入る督促状を見る機会が減ってきた。



それでも家に経済的余裕がないのには変わりない。


自転車さえも、近所の自転車屋さんで廃棄処分するものを貰ってきては直して使っていた。


恥ずかしくて、友だちと自転車で出かけることもできなかった。



慣れない職場と少ない従業員の中で資格だけはたくさん持っている父が、年を追うごとに昇進していく重圧で、いつも機嫌が悪かった。


家では酷く機嫌が悪いのに、外面だけはめっぽうよい人だから、そりゃストレスもたまることでしょう。


わかるよ。


わかるけどね。


家族に八つ当たりして、なんかいい事ある?


それも毎日毎日。


いつも眉間にしわを寄せ、私があいさつをしても返事もしなけりゃ振り向きもしない。


そのうち別にどうでもよくなって、父と兄と顔を合わせないように自分の部屋にこもり始めた。




後に聞いた話によると、家の経済状況を考慮して兄は地元で就職したらしい。


本当は地元を離れたかったそうだ。


だから未だに、「お前ばかりずるい」と言われる。


子どもの頃に自分ばかり優遇されていたことは全く覚えていないようだった。




兄の就職で少しずつではあるものの「普通の生活」が送れるようになってきた我が家から、私は一刻も早く離れたかった。



私は、高校卒業と同時に東京へ。


本当は大きな夢はあったけれど、さすがに都会の私立大学に進学できるほどの経済的余裕はない。


借金もほぼ返済し、父は会社で「雇われ社長」にまでなった。(自分で立ち上げた会社ではないから)


しかし責任が重くなるだけで経営に携わることになったために、父の給料が増えていく訳ではなかった。


未だに従業員よりも少なめの給料、ボーナスなしというスタンスは変わらないので、多分20年近くは給料に変化はないのだろう。

それと、私には国公立大学に入るほどの学力がなかった。


しかもそんな学力があるのなら、親から逆に県内の国立大学への進学を打診されただろうし。



学力不足のため、ありがたく夢をキッパリ諦ることにして、一生使える資格の取れる別の道へ進むことにした。


そこに後悔はなかった。



最初は慣れない寮生活。


あれだけ嫌だった実家をやっと離れたのに、なぜかホームシックにかかり1ヶ月間泣いて過ごした。


1年経ったら寮を出て1人暮らしを始めた。


バイトもいくつか掛け持ちした。


その後は確かに勉強も大変だったけれど、毎日楽しかった。


誰にも負けないくらい勉強し、卒業・資格取得。


高校生の時このくらい勉強してたなら、また新たな道も見えていたかもしれないってくらいに、人生の中で一番勉強した。



私は地元には帰ることなく、そのまま関東で就職。


既に世の中のバブルははじけていたけれど、私の「1人バブル」の時代が始まった。


毎日毎日、本当に楽しくて仕方がなかった。


仕事も、日常生活も。




つづく






きこきこ