次は母の事も含めながら。
私の母は4人きょうだいの長女。
母の下には3人の弟がいる。
ずっと祖母に厳しくあたる曽祖母との確執(嫁・姑)を見ながら育った。
母自身はとても運動神経が良かったらしく、高校生の頃某スポーツで国体に出場した。
その経験から実業団から勧誘を受けて県外の企業に就職したが、数年間働いた後実家に戻った。
そして父との見合い、結婚に至った。
前の記事にも書いたように、父の実家は山村にある。
結婚前初めて父の実家を訪れた日、慣れない山道で車酔い。
車を降りて気分が良くなるまで待っていたら、父に怒鳴られたらしい。
「俺の実家に行くのがそんなに嫌なのか」と。
これは、車酔いが酷い私にも何度も投げかけられた忘れられない言葉だ。
好きで車酔いしてるんじゃない。
クネクネ山道で荒い運転。
気分が悪くなるのも当たり前だ・・・
今になって思い返せば、そこで婚約破棄すればよかった、と何度も聞かされた。
父の母(私の祖母)は、母に対して非常に厳しい人だった。
父の兄のお嫁さんは村内の人。
他の兄弟たちの配偶者も、比較的近隣の人たち。
母だけが、父の実家に馴染めなかった。
しかも、元々小さい村での小さい集落での事。
近所付き合いや伝統を重んじる気質の人々。
みんな、名前でなく屋号(やごう)で呼び合うような地域。
母が馴染めないのも無理はない。
父の実家にいる間、母は座る時間はない。
ずっとキッチンに立ち続け、早朝から晩まで何かしらの食べ物が並ぶ食卓の上に、次々と料理をしなければならなかった。
朝食前にお茶
朝食
10時のお茶
昼食
15時のお茶
夕食
夕食後のお茶・・・
父の姉妹たちは手伝いもせず座っているのに。
母は最初の妊娠で私の兄を出産する日、陣痛で苦しんでいる最中
「うるさいから静かにしろ!」
と父に怒鳴られて家を追い出され、当時隣に住んでいた方に病院に送って行ってもらったという。
3年後、一度の流産をはさんで私を妊娠。
これまた陣痛が始まった時、
「女なんか産んできたら承知しない!」
当時は出産するまで性別なんか分かりませんでしたからね。。。
とまた怒鳴られ、
私を出産したあとは嬉しさではなく、「女が産まれたから」辛くて泣いたらしい。
そして「子どもは2人と決めていた」
と聞かされた。
やはり私は望まれて生まれてきたんじゃない。
流産したからもう1人、となった訳で
兄か姉だったであろう流産した子が生まれていたら、私の命はなかったって事だ。
ちょうど今ある私の実家を建てていた頃、父の兄の会社が立ち行かなくなり、連帯保証人となっていた我が家は、莫大な借金を抱えることになった。
その件からほんの数日で、母の髪は真っ白(白髪)になった。
父の実家には何も知らせることなく、母の実家にお金を無心するような父だったので・・・
幼心に、その光景は今でも覚えている。
当時まだ母は30代。
髪を染めたが、今でいう「茶髪」になってしまった。
事情を飲み込んでくれない父の実家では、「そんな髪の嫁は恥ずかしい」と虐げた。
「お前がしっかりしないから」と、理由のすり替えまでしようとした。
そんな時に頼りになるはずの夫=私の実父は、祖父母・親戚と一緒になって、母を虐げた。
母の苦悩は父の両親が亡くなるまでずっと続いた。
どんなに遠い親戚でも、母が直接知らない人でも、祖母が村内の誰それさんが入院したと一本電話をかけると、
母が「●●家の▲▲の嫁です」と言いながらお見舞いに行く。
逆に母が体調を崩して入院・手術をした時は、父方の祖母も知っていたにもかかわらず、「親戚に言うと皆に迷惑をかけるから」と言い、父方の親戚は誰一人見舞いにも来なかった。
そして父はというと、「入院・手術したことは恥ずかしい事だ」と、ずっと前から加入していた生命保険の請求すらしなかった。
全くもって意味のない保険。
あんたは保険会社にお金を貢いでいるのか??と、怒りを覚えた。
私は、それらの状況をずっと目撃してきた。
母と父が揃って笑っている姿を見たことがない。
2人で歩いている姿を見たことがない。
車に乗っても会話すらない。
ただの仮面夫婦だ。
そして、自室にこもる私に聞こえてくるのは父と母のケンカの声。
毎日、毎日。
そして、母のストレスのはけ口は私に向かった。
叱られた訳ではない。
虐待も受けていない。
ただただ、毎日父と父の実家に対する愚痴を、ひたすら聞き続けた。
私が生まれる前の出来事や、幼すぎる頃の出来事。
いい事はひとつも聞かされたことがなかった。
母一人で抱えるにはあまりにも大きな出来事ばかり。
かといって幼い私が支えるには、あまりにもでかすぎる出来事。
というよりも、理解すらできないこと。
正直聞きたくなかった。
特に私の出生に関する出来事。
聞かなきゃよかった。
私は両親に望まれて生まれた子供ではないことが、はっきり分かってしまった訳だから。
小学生の頃、テレビで放映していた「ターミネーター」(←ヤバい、歳が・・・
)
ホラー映画を見た時のような恐怖に襲われた私。
母に「怖いから一緒に寝たい」と言ってみた。
「怖くないから部屋で寝なさい」のひと言で済まされた。
この人にも頼っちゃいけないって・・・自分の部屋という殻にこもった。
いじめられた時もどうしても言い出せなかった。
母に、隠していたカミソリと大量の遺書が見つかるまでは。
そして私は、小学生の頃からずっと鍵っ子。
借金返済、ローンの返済、生活費・・・
もう、内職どころでは太刀打ちできない貧乏生活。
母も働かざるを得なかった。
手に職も資格もなかった母は、体力勝負の仕事を選ぶしかなかった。
兄は既に中学生になり、部活動で帰りが遅くなる。
誰かが帰ってくるまでいつも暗い部屋で、母の手作りのおやつをむさぼることしかできなかった私。
父はというと、母や私にはお構いなし。
罪悪感など微塵も感じさせない威圧感で私たちを苦しめ続けた。
そして……
気付いた時には、父や母の温かさ、肌のぬくもりを知らぬまま、思春期を迎えた。
思春期になると、更に父親への嫌悪感が増した。
女の子には一度くらいはあるのかな?
「お父さんのものと一緒に洗濯しないで!」って事。
それは今の歳になるまで一度も消えることのない感情だった。
それ以降、私は父には指一本触れた事はない。
また経済状態が本当に厳しかったらしく、記憶にある中で家族で遊んだ事、旅行に行ったことすらない。
家族で出かけた記憶は、殆どが父の実家と父の兄弟の家だった。
友だちから貰う「旅行のお土産」が、嬉しくって、お返しできなくて申し訳なくって、悲しくなって更に自分の殻に閉じこもった。
家の事だから、誰にも言えない。
恥ずかしい。
知られたくない。
私の心の闇がどんどん大きくなってきた。
つづく
きこきこ