以前から一度まとめておきたかった事。
AC(アダルトチルドレン)と気付くまで、そしてそれ以降の「元家族」とのかかわりについて書いておこうと思う。
以前に書いたものとかぶる内容が多いと思います。
ただ、私の覚え書きの要素も含んでおりますので、その辺りはご了承ください。
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まずは実父の事について。
実父は県境に近い山村で生まれた。
婿養子だった私の祖父、そして4人姉妹の長女でもある祖母のもと、5人兄弟の4番目で次男だ。
婿養子といっても、祖父はもの凄く亭主関白だった。
私は祖父が怒っている顔しか覚えていない。
因みに・・・・左利きの私、左手でお箸を持つと「飯を食うな!」と怒られた。
私も意地になって食べなかった。
でもね、従姉(父の姉の娘)は左で食べても怒られないの。
なんで私だけ?っていつも思ってた・・・
父は次男であることから、あまり可愛がられていなかったらしい。
長男を重んじる戦時中の事。
その頃はどの家庭でも同じだったのかもしれない。
一番上の姉とは随分歳が離れていたようだ。
中学までは村内にあって通学可能であるが、高校へ進学するとなると家を離れなければならなくなる。
父は、既に隣県に嫁いでいた一番上の姉の家に居候しながら工業高校に通った。
卒業後は県内に戻り、地元では名の知れた企業に就職した。
20代後半になり、親と後に仲人となる夫婦の決めた相手(私の実母)と見合いをした。
本人たちの意向はこの際どうでもよかったのだろう。
見合い当日に、2か月後の結婚式の日取りと式場が決まったという。
母と結婚してから数年、会社から父に辞令が出た。
東京への転勤=栄転だったらしい。
父はそれを拒んだ。
どうしても、東京へは行かないと言ったそうだ。
それから更に数年後、再度東京への転勤を言い渡された。
そして再度拒んだ父は、会社にいられなくなり・・・・退職した。
私が産まれたのはちょうどその頃だったようだ。
退職した父は、実兄が立ち上げた会社で働くことになった。
その会社があった場所は、当時私たち家族が生活していた場所から通勤するのが困難な辺鄙(へんぴ)な場所。
父は単身赴任することになった。
当時週休二日なんてありえない・・・
土曜日の夜遅く家に帰ってきて、日曜の夜出ていく生活。
遊んでもらいたくても鬼の形相で睨みつけるだけ、怒鳴りつけるだけの父。
私や兄に向けづらい父の怒りは、全て母へと向かう。
私は母が父から怒鳴られないように気を遣うようになった。
しかし・・・・・
幼かった私は、こんな状態の父は「時々泊まりに来るおじさん」としか認識できなかった。
だって、父親ってそんな人じゃないでしょ?
父への嫌悪感は幼い頃から始まっていた。
そのうち、父の兄の仕事は立ち行かなくなった。
莫大な借金を抱えた状態で倒産。
借金返済のために翻弄した父は、父なりの最後の手段に出た。
母の実家に頼ったのだ。
電話で母に「親から金を借りて、今すぐ銀行にに振り込んでくれ」と。
そこで母は当たり前のことを父に聞いた。
「父の実家に借りることはできないのか?」と。
返ってきた答えは
「お前は俺の親に金を借りろと言うのか!迷惑かけてもいいのか!どういうつもりだ!!」
と怒鳴られた。
母は泣きながら実家に頭を下げてお金を借り、指定口座に振り込んだ。
父からは感謝の言葉、労いの言葉なんてもちろんない。
父方の祖父母は借金の事すら知らないんじゃないかと思うくらい。
しかも、元をただせば兄弟間での出来事。
そのうち、借金もうやむやにされた。
ただ、私の実家=新居には、毎日督促状と借金取りがやってくる日々が始まった。
つづく
きこきこ