
ふと思いついたことを書こうかと。
ブログをたまーに更新しないとどうなるかっていうと、そうなんですね、てき面アクセスに影響が出ます。それの是非っていうことはあるのでしょうけど、思い出したこととしてジミ・ヘンドリックスが死んだときリック・ニールセンが言ったことというのが、「やつはもう新しいアルバムを出せなくなったな」でした。
もちろんこれって酷いいい様ではあります。でも勿論ブログもネットも無かった時代にニールセンは重要な概念に気付いていたのでしょう。
まあ、それを一言で言わないまでも、死んだら勝者になるのではなく、忘れ去られてしまい、もしくは関心を集められなくなるって言うことですね。
そういう伝では情報を更新していかないって言うのは仮想的な死だともそれは思えます。とまってしまうと、誰もが何かに追いついてしまう。それも一つにはポイントなんだけど、追いつくどころか興味を失われたり。
存在意義っていう言葉もあるんですけど、翻るとなんで誰かは誰かに意識されていないといけないかっていうのは問題としては相当難しい。
生きていることそのものが意識の世界だとは言えるんですが、その中で影響力を持つっていうことが一体どれほどの意味が在るのか。
では、意識っていうことで言うと、やっぱり情報としてはある事柄っていうのは、多分自分がとか自分だけが分かっているだけでは駄目なんですね。
何で駄目かって言う理由の一つがまだまだ人間が動物的であるということ。社会性なんていうのも要は力関係に還元されるんですが、まあ、その力ですか。
なにをもって価値とするか。
こうして単一の概念をどんどんと転がしていくと意味に重層性が付与されます。まあ、それもある意味見せ場っていうのは、あるのかも。
で、もどって情報が新しくなるっていうことは何かが誰かの意識の中で新しい意味を付与されていくことなんですね。
洗練されていくということはそういうことでもあるけど、では、意識があたらしい概念にどう接触するのか、まあ、書けることはここくらいまでは書けるとしても、同じ人が情報として何かを行進することが一つには重要なそれが意味であるというのはなかなか形容しがたいものもあり。