紅いシャーベルを使っていた時代のホールズワース。
最近の映像とはまた違って、でもやっぱり冴えはこの頃がダントツかもしれない。
いきなり話のベクトルは変わるけどホールズワースのようなミュージシャンの存在はまさに録音機器の発達にそのベースがある。
堅苦しいけど、譜面を再生する音楽が積極的に廃れたのは、やっぱり録音機器の存在がそれに影響している。つまり、だれの譜面を再生するかより、どっちかというと誰が演奏しているか、そっちが重要になってしまった。
イントネーションやアーティキュレーションは脳がイメージ出来うる着想に比例している。たとえば単純に速く走ればいいだけの百メートル走にも極限的な解法をイメージできるランナーは特定の数しか居ない。つまりイマジネーションは個体ごとに異なる、誰かが誰かの代わりをすることは、イメージのレベルがあがれば上がるほど不可能になる。(はず(一応筈って謂うことで))
そこでホールズワースが、実際にどういう人工スケールをベースに演奏しているのか、というネタばれは実はそういう意味では全く意味が無い。(と思われる)(手放しですげー演奏だし)