&

なだしお事件1988昭和63年)723

海上自衛隊潜水艦と遊漁船が衝突し、

遊漁船が沈没した海難事故。 

&


ソウル長期出張と、なだしお事件

1987年の韓国ノテウ政権の誕生と民主化宣言でお隣りの韓国は大きく変わろうとしていた。

9月にソウル五輪を控えて次々に民主的政策も

打ち出された。

担当する「モーニングワイド」でも、激変する韓国の今を伝えようということに。

私は五輪目前のソウルへ派遣され韓国国内の様々な動きを取材しリポートにまとめて、韓国KBSの協力の下、ソウル市内から中継でリポートをすることになった。


さあ出発という1988年真夏

あの「なだしお事件」が発生。 


7月23日 東京湾で、遊漁船「第一富士丸」と海自潜水艦「なだしお」が衝突、死者30人の大惨事に。

私のソウル出張も延期となるかと心配した。

同僚が漁船に乗って東京湾から連日中継リポートするのを後ろ髪引かれる思いで見ながら、

私はソウルへ赴いた。

実はこれがはじめての海外出張。

しかも民主化宣言したばかりの激動の韓国。

当時韓国には前年の大韓航空機爆破事件もあり

テロのうわさも流れていて、緊張して金浦空港に降り立った。

空港にはM16を抱えた兵士がびっしりと並び厳重警戒。

私の緊張感を更に盛り上げた。

当時の韓国は今のような韓流ブームもなく、日本とっては近くて遠い国。

ソウル市内もハングル文字ばかりで英字の表記もまだほとんどなかった時代。


共産主義のレッテルが貼られたチャプリンの映画がはじめて公開されることがニュースになっていた。お隣とはいっても見るもの聞くもの珍しかった。まだ反日教育も徹底していた。

ソウル滞在もかなり長くなったある日、たぶん私も韓国人に近い顔つきになっていたのだろうが、町を歩いていて女子高校生から時間を聞かれ、「イルボンサラミエヨ」(私日本人です)と言ったら、そのお嬢さん、脱兎の如く逃げ出したのも懐かしい思い出。取材テーマは韓国の社会全般にわたり、高度成長期の日本を髣髴とさせる多くの現象にどこか懐かしさを覚えたものだ。取材地もソウルだけでなく、光州事件の光州や、最南端の済州島にも及んだ。ひとつの国の変貌を取材するという大きなテーマを与えられた私は、この韓国長期取材でジャーナリストとして急激に成長したと思う。

テーマはマイカーブーム・株ブーム・スポーツ界・ソウルの都市住宅問題などなどに決まった。

結局ソウル滞在は8月一杯となり、ソウルに秋風が吹き始めた8月末、ソウル五輪開会式目前に帰国した。(ソウル五輪開会式は9月7日)

##############################