京都生まれ京都育ちの僕。
人には「言語形成期」があって、
概ね小学校高学年から中学1,2年。
つまり10代前半に育った土地の言葉を獲得する。
これを言語形成期という。
僕の場合は京都市。はんなり京都の言葉を身につけて
育ってきた。
僕はしかし、小学校時代からずっと「放送部」に所属し、
「標準語」または「共通語」とよばれる
東京山手の言葉に近い、京都人には別の言葉の獲得に
懸命になってきた。
将来アナウンサーになるためである。
(小学校高学年からそう言う志を抱いていていた。)
その後本職のアナウンサーになってからは、いかにして元の言葉
つまり京都弁を切り捨てて、共通語のアクセントに則って話す、
読むかに傾注するのが「仕事」だった。
この期間(アナウンサー生活)30年と家庭生活でも、
ベッタリ「共通項」(のような)言葉に浸る生活だった。
(妻も、静岡生まれのいわば関東型アクセント)
以来50年。
退職し、フリーアナウンサー、実態家事手伝いの生活の中で
不思議な現象が出てきた。
何故か?特に妻との会話の時、元の言葉である「京都弁」が
飛び出すことが多くなった。
「あれはどうしたんや?」
明らかに関西弁に戻っている。
先祖帰りかな?と思いつつ、
僕の元の馴染んだ言葉が楽なせい?とも。
そのうち文章を書く時も、ブログの文章もちょくちょく
京都弁で書くようになった。
やっぱり
僕の「原語」は、京都弁なのだろう?
そん言う意味では長い間のアナウンサーとしての言葉は、
職業的必要性からくる「借り物」であったのかもしれなない??
そんなことを考えるようになった。
#######################################