『松本サリン事件』から30年。
事件とマスコミの責任。
概要
6月27日の夜、松本市の住宅街で起きた事件。
裁判官の職員宿舎を狙って猛毒のサリンがまかれ、8人が死亡、140人以上が被害を受けた。
猛毒の神経ガス、サリンにより住民8人が死亡、600人以上が重軽傷を負った。
事件発生から1年を経て、オウム真理教による犯行と断定された。
問題は
事件発生直後から現場近くに住む事件の第一通報者だった河野義行さんに疑惑の目が向けられ、警察による取り調べや「メディア」の
犯人視報道が続いた。
当時の様子
午後10時40分頃
会社員の河野義行さん(当時44)は
自宅の居間で妻とテレビを見ていたが、
画面を暗く感じてテレビを消した後、
妻が「ちょっと気分が悪い」と言うので
居間の床に妻を寝かせた。
裏庭の犬小屋からカタカタという音を聞き、様子を見に行くと飼い犬1匹は白い泡を吹いてけいれんしていて、もう1匹はすでに死んでた。
河野さんは以前、薬品販売会社に勤めていて
自宅にシアン化合物などの薬品があったことや第一通報者であったことから、
警察は河野さん宅を事件の翌日、被疑者不詳の殺人容疑で捜索し、
参考人として連日、事情聴取。
また新聞やテレビも河野さんが事件に関与している疑いがあると報じ、病院や自宅に詰めかけた。
その後も河野さんへの事情聴取は続き、
疑惑の目は向けられ続けた。
サリンなどを研究する有機合成化学の第一人者だった東京大学の森謙治教授(当時)に同行してもらい、河野さんが保管する薬品でサリンは作れるのか、またサリンは河野さん宅の庭付近で発生したと言われていたが、死傷者の被害状況と当時の風向きや家の構造を照らし合わせ、どこでサリンが発生した可能性があるのかなどを検証。
河野さん宅の薬品ではサリンは作れないこと、またサリンは河野さん宅前の駐車場から庭先の池付近で発生したあと、空気より重いことから地を這うように庭から河野さん宅の縁の下を抜けて、自宅裏の犬小屋から塀や建物を沿うようにして広がり、大きな被害があったアパートや寮に流れ込んだこと可能性が高いことが分かった。
さらに後日の検証では自宅周辺の木々や草の枯れ方からサリンがどこで発生して、どこを狙った可能性があるのか、科学的な観点から取材を続けた。
河野義行さんの『冤罪事件』としても
大きな教訓を残した。
何故このような事がおきたのか?
核心は警察とマスコミの『馴れあい』にある。
そして今も
警察とマスコミの『馴れあい』
はつづいている。
今朝の天声人語は
当時の取材者としての経験談を
含め回顧している。
だからこれからも第二第三の河野さんが
出る恐れがあると言わざるを得ない。
ジャーナリストが『自主取材』を更に強化し、
警察もジャーナリズムを誘導しようとするような安易な「発表」を行わない覚悟が必要だと
思う❗️
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