この病気にはかつて 家族で闘った!
昭和59年だったか?
一歳半になったばかりの次女が
ある日突然 瞼が閉じ気味になった?
かかりつけの小児科医は
大病院での検査を勧めてくれた。
難病の「重症筋無力症」の疑いありと。
父も母もどん底に😢
そして 何故か静岡へ。
ここには 妻の祖父が建設に尽力した小児科専門病院が
あったからだ。
速攻で静岡へ!
診察の結果 やっぱり難病の「重症筋無力症」だった😵
何ということか?
何故我が子が?
しかし 不幸中の幸いとはこのことか?
我が家の宇都宮の近くには自治医大があり、
そこにはこの病気の権威がいることが判明。
早速静岡から自治医大へ電話!
教授自ら電話に出て、丁寧に対応していただいた。
そして、教授の部下で小児神経の専門医
桃井真理子先生を紹介するから 来いと❗️
この桃井真理子先生が 『救世主』となったのだ!
約1年に及ぶ入院では、すみれ子は全身がグニャグニャになるほど重症に陥ったことも。
そういう時、いつも強く温かく我々若い両親を励ましていただいたのは、桃井真理子先生だった。
同時に、仕事場の同僚上司の気遣いや励ましも大きな支えとなった。
若い夫婦は見知らぬ地での転勤生活の中で
必死に子供の命を守る戦いを続け、昭和60年春ようやく退院!
長くて苦しい一年だったが
退院と同時に
念願の東京アナウンス室に異動❗️
ようやく我が家に『春』がきた!
初めて夫婦で笑える様になった。
病気は寛解。
次女は早逝したが、
桃井真理子先生とは今もときどきご連絡している。
我が夫救世主なのだ!
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