あの日僕は何故か眼科にいた。

何か検査をしていた時

突然グラグラときた!

地震だ

大きいかな?

少ししてテレビが東日本大震災の一報を出し始めた!


大きな揺れと大津波!


こりゃ大変だと職場に戻ろうと地下鉄の駅へ。

ホームに降りる階段は人で溢れ、行けない!


あかん歩いて帰ろうと道を歩き始めたが

歩道も人で溢れ、なかなか前へ進めない!!


それでもゆっくりゆっくり進んで、ようやく職場へ。


職場のみんなも混乱していた!

迷っていた!


待機するか?

帰宅するか?  


夜になって決断の時期が来ていた。


いち早く最寄りの駅に行った仲間から

駅は大群衆で大混乱 電車は動いていないという情報。

そうだタクシーーだ。

職場の玄関に行ったが、タクシーなんか来ない!!

外の大通りも、タクシーは全く走っていない。


また職場に引き返す。

そのうち徒歩で帰宅しようという仲間がだんだん増えていく。

僕は自宅が遠くて、とても歩いて帰れない。

とにかくしばらくは待機か?


時間の経過とともに

「職場に泊まる」ことにせざるを得なくなった。

朝になれば電車も動くだろう、多分?

応接室のソファの取り合いが始まる。


この時妻は用事で都心に出ていた。

連絡を取ろうとするが、携帯が全く通じない。

職場に公衆電話かあったのを思い出し、かけたら

割合簡単に通じた。小銭とテレフォンカードが頼り。

妻は都心の法律事務所に用事で出かけていて

動けなくなっていた。

結局妻もこの事務所に泊めていただくことにしたらしい。

朝になったら電車が動き始めることを信じて。


お互い、余震の続く中で眠れない一夜を過ごしたのだ。

この時から「帰宅難民」(帰宅困難者)という単語が使われ始めた。 

災害時、そういうことがあることを皆学習した。


同時に、こんな時には携帯電話が役に立たないことも知った。


こうして多くの人が「帰宅難民」となり、職場などに留まった。

この時の教訓で「帰宅難民」対策が

次の災害時の大きな課題になったが、

未だに確かな解決策は出てきていない!


二度と帰宅難民になりたくないなあ!

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