目白御殿焼失のニュースに接し

ある記憶が鮮やかに浮かんだ!


1993年(平成5年)12月16日

田中角栄元首相死去の第一報!

僕は当時ブレーキングニュース(突発ニュース)担当で

日中ニュースセンターにつめていた。


原稿も何もない.一報のメモだけでスタジオに。


とりあえずその短いメモを繰り返す。

そのうち解説の記者か来るだろうと思いつつ。

ところがなかなか記者が入ってこない??


後で聞いたら

まず社会部と政治部が協議。

どちらの記者が解説すべきかと。

政治部記者がスタジオに入ることになっても

どの記者も嫌がって「譲り合い」

功罪相半ばする人物だけに、

どうコメントするか難しかったのだろう?

スタジオに入ってきたF記者は

この難しい解説を

功罪うまく捌いて

見事にコメント!!

以来僕は彼を「尊敬」している。

本当の記者であり、

こういう人こそ

本物のジャーナリストである。


その後彼は関連団体の役員となり

多分今は悠々自適かな!?

ただ本体の理事にはならなかった!

ちょうど彼が報道局幹部の頃

記者のインサイダー取引が判明し、

その責任を一人被って「転籍」したのだ!

彼らしいといえば彼らしい「去り際」だったと思う。


その後NHKが不祥事に見舞われ、ピンチとなったとき

彼が役員ならと思ったもんだ!

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