今朝の天声人語にあるように

今から30年前、非自民の細川政権が誕生した。

その命わずか263日!

あれは夏の幻だつたのか?

当時の僕の経験と記憶を辿る。


1993531日、宮澤喜一首相が、『総理と語る』内において、

「(今国会中に衆議院の選挙制度改革を)やります。やるんです」と公約する。しかし結果的に自民党内の意見をまとめきれずに次の国会へ先送り。これに野党が反発。通常国会閉幕直前に日本社会党・公明党・民社党が共同で内閣不信任決議案を提出。衆議院の過半数を占める自民党の反対多数で否決されると思われたが、党内から造反者が続出して可決。

内閣不信任決議可決は1980年以来13年ぶり、55年体制の崩壊の端緒となる。不幸としか言えない展開であった。宮澤さんは東京原宿に自宅があるが、その自宅玄関に通じる小道に、記者団の要請で自ら姿を見せ、結構饒舌に囲み取材に応じていた光景が今でも忘れられない。


自民党最後の総理となった宮澤さんが奇しくも15代目自民党総裁で、江戸幕府15代将軍の徳川慶喜と同じであったことから、慶喜になぞらえる論調も登場していた。結局宮沢政権は衆議院を解散する。そして第40回衆議院選挙を迎える。

選挙戦は前年の参議院選挙と同様に「新党ブーム」一色であった。

結果、自民党は単独過半数を維持出来ず、社会党も55年体制以後では最少議席となった。

日本新党、新生党、新党さきがけなどがキーボウトを握ることに。


そして、小沢一郎が細川政権樹立に向け動き出す。

「非自民政権」を作ることが彼の最大の狙いであった。

同時に細川というブランドにかけた側面もあったと思う。

旧熊本藩主・侯爵細川家や元首相・公爵近衛文麿の孫という家系。

非自民政権樹立には国民的人気が有効と考えた小沢一郎の判断の結果である。



結局選挙から1ヶ月近くたった89日細川政権発足。 


 

正直言って、私自身も生まれた時から自民党政権で、

こんな日が来るとは夢にも思わなかった。


象徴的だったのは、総理大臣指名の国会でのハプニング。

総理大臣指名選挙は記名投票であり、衆議院事務局の職員が議員名を点呼、名前を呼ばれた議員が議席から立ち上がって投票する仕組み。

ところが、衆議院事務局の職員が名簿を一頁飛ばして読み上げてしまったのだ。途中で気がついて慌て飛ばした頁を読み上げたが、野党になりかけていた自民党が了承しなかったのだ。

結局、本会議は一度休憩し、首班指名は「やり直し」となった。

この前代未聞の事態もNHKは全て特番の中で中継していたが、

私の隣にいたベテランの政治部出身の解説委員も言葉を失った。


こうして「波乱」のスタートを切った細川政権、国民の、この政権へ期待も半端ではなかった。

政権発足から1ヶ月の9月初めの各社の世論調査では、

内閣支持率が71%にもなった。


 宮沢内閣への不信任決議案可決から、55年体制が崩壊して、非自民の細川政権誕生へと至る一夏の出来事は、私のキャスター生活の中でも衝撃的で忘れられない出来事であった!


 それにしても、政権発足後の各社の取り上げ方も些か常軌を逸したものがあった多かったと思う。内閣スタートの日の恒例の官邸階段での写真撮影がなくなり、代わりに芝生の上でシャンパンパーデイーが行われた、だの。


細川総理は記者会見の時、記者を指名する際、ペンを指揮者の指揮棒のように使ってやったとか。ことさら新しさを強調する内容が極めて多かったと思う。


高い期待故か、失望も大きかった。政権発足後は、何かことあるごとに「期待が裏切られた」という有権者の気持ちも募ってきた。

結局のところ、1年持たないうちに細川政権は崩壊!

夏の幻だつたのか??

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