東京着任3日目

運命のあの事故が!


その日、8月12日はお盆の入り。

この休み期間を利用して、新しいオフィスに移転しようという自動車会社の思いつきに伊丹さんは大いに感心。

この日は早朝から

先輩伊丹賢太郎アナウンサーについて

青山の本田ビルで見習い。

現場でのスタッフとの打ち合わせのやり方など

立ち居振る舞いや

リハーサルのやり方など

手取り足取り教えていただきました!


早朝からの研修。眠い!

当時まだ家がなかったので滞在していたホテルへ引き上げて仮眠。


仮眠中

アナウンス室デスクからの突然の電話で

起こされた。


デスクは開口一番

「ということだから、すぐアナウンス室へ上がれ!」

こういう時、男子たるもの騒いではいけない。

意味不明なのに「はいわかりました。」と

調子よく即答。 

電話の後すぐに付けたテレビのニュースで、

ようやくこの「ということだから」が理解出来た。


この日NHKニュースは夜七時の後半

大阪発羽田行きのJAL123便が行方不明と伝えていたのだ。

「これか?」

とりあえず局に。


墜落場所が二転三転する中、局で徹夜待機。


墜落場所が群馬県御巣鷹山(後の命名で、当時は高天原山の名もない尾根)と判明。



特報部村瀬記者とともに、

遺体が降りてくるという

群馬県藤岡市へ行け!」との命を受け、

渋谷の放送センター出発!

現地へ向かう途中

びっくりするような情報が!

生存者かいるらしい??と。

その四人の生存者も墜落現場からヘリで

藤岡町に運ばれることも。局からの指示は

当然ながら「生存者のインタビュー」 同行した記者は「あなたアナウンサーなんだからインタビューお願いします!」

こういう時だけアナウンサー扱い。

藤岡市に到着するのとほぼ同時に、

ヘリコプターで4人が地上へ。

担架で運ばれる四人の内、墜落機にたまたま乗っていた日航スチュワーデスの落合由美さんにマイク突きつけるも無言!本当に生きているのかと思うほどの土気色の顔を今も忘れない。


後の落合さんの証言では「救助隊が来たことは覚えていたが、以後、病院で目を覚ますまで何も覚えていない」と語っている。

インタビュー不発弾だったみたい。


それから凡そ1週間、藤岡市で生存者の様子や遺族の取材、難航する遺体の確認作業を取材。


酷暑の中、町中ホルマリンの匂いに包まれた藤岡の町は、まさに地獄の様相であった。

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