G7広島サミットが終わり
焦点は解散総選挙があるやなしやに移っている。
長いアナウンサー生活で経験した
「解散総選挙」には
いくつか、忘れられぬ思い出がある。
①1980年ハプニング解散そして初のW選挙
1980年5月、日本社会党の飛鳥田委員長が、
浜田幸一のラスベガス・カジノ疑惑など、
一連の自民党のスキャンダルを理由として
大平内閣不信任決議案を提出。
これに呼応するかのように自民党の反主流派も
浜田の証人喚問や、
国会に綱紀粛正委員会を設置することを求め、
大平正芳首相の回答を求めた。
自民党の反主流派は混乱。
議員69人が本会議を欠席。
内閣不信任決議案はあっさり可決。
大平は衆議院解散を決定。
更に
6月22日の参院選と同時に衆院選の投票を実施することを決め、
初の衆参同時(同日)選挙へ。
当時山形局で衆議院選挙の開票速報の準備を進めていた僕も
この、初の衆参同日選挙にはびっくり!
緊張感に包まれて準備を続けた。
しかも、選挙期間中に大平正芳総理が亡くなるという、
事態もあり、忘れ得ぬ選挙になった!
②非自民政権誕生の解散総選挙
1993年5月宮澤喜一首相が、テレビ番組内で「今国会中に衆議院の選挙制度改革をやります。」と公約。しかし結果的に自民党内の意見をまとめきれずに次の国会へ先送り。
これに野党が反発。通常国会閉幕直前に日本社会党・公明党・民社党が共同で内閣不信任決議案を提出。党内から造反者が続出して可決。55年体制の崩壊の端緒となる解散総選挙へ!
選挙戦は新党ブーム一色。
結果、自民党は単独過半数を維持出来ず、
小沢一郎が動き出し、非自民の「細川政権」誕生!
宮沢内閣への不信任決議案可決から、55年体制が崩壊して、非自民の細川政権誕生へと至る一夏の出来事は、私のキャスター生活の中でも
特筆すべき経験であった!
(生きているうちに「非自民政権」誕生を見るとは思わなかった。)
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