赤堀の弁護人には、自民党県支部の重鎮である鈴木信雄、松川事件元弁護人であった若手の大蔵弁護士の2人が付いた。
1954年7月2日に初公判。
死刑囚となった赤堀は1961年8月17日に第一次再審請求を行ったが、
1962年(昭和37年)2月28日付で棄却。
1964年(昭和39年)6月6日に第二次再審請求、1966年(昭和41年)2月8日付で棄却された。
同年4月14日に第三次再審請求を行ったが、
1969年(昭和44年)5月9日付で棄却。
1969年に行った第四次再審請求も1977年(昭和52年)3月11日付で静岡地裁が棄却を決定。
赤堀および弁護人は3月14日付で即時抗告を申し立て、これを審理した東京高裁は1983年、静岡地裁の原決定を取り消し、審理を地裁に差し戻すことを決定。
その後、静岡地裁は1986年(昭和61年)5月30日付で検察(静岡地検)側・弁護人側から提出された双方の鑑定結果を吟味した上で「死刑囚・赤堀の自白は被害者の遺体胸部の傷の状況から信用性真実性に疑問がある」などの理由から再審開始・死刑の執行停止を決定。
検察側は即時抗告したが東京高裁は1987年(昭和62年)3月25日付で即時抗告棄却(原決定支持)
検察側が最高裁に特別抗告しなかったために「再審開始」が確定。
静岡地裁で1987年10月19日に再審初公判が開かれ、改め証拠調べが行われ、1988年8月8日に静岡地裁で再審論告求刑公判。
そして静岡地検が再び赤堀に死刑を求刑したが、弁護人が最終弁論で無罪を主張し、被告人・赤堀も最終意見陳述で改めて無実を訴え、
ついに結審!
長い闘いであったが、鈴木信雄弁護士は既に他界(昭和54年)されていた。
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