今朝のニュースから
「韓国政府は6日、日韓間の最大の懸案である元徴用工(旧朝鮮半島出身労働者)訴訟問題を巡り、韓国の財団が被告の日本企業の賠償金相当額を支払う解決策を発表した。日本政府も評価しており、戦後最悪と言われてきた日韓関係は正常化に向けて大きく前進した。日韓両政府は尹錫悦(ユンソンニョル)大統領が来週後半にも来日し、日韓首脳会談を行う方向で調整を進めている。」
大好きな韓国の思い出
1988年8月、1ヶ月ほど韓国にいた!
35年前の話。
ソウル長期出張。
当時、前年のノテウ政権の誕生と民主化宣言で、お隣りの韓国は大きく変わろうとしていた。
9月にソウル五輪を控えて次々に民主的政策も打ち出されていた。
担当する「モーニングワイド」でも、激変する韓国の今を伝えようということになった。
私は五輪目前のソウルへ派遣され、
韓国国内の様々な動きを取材しリポートにまとめて、
韓国KBSの協力の下、ソウル市内から中継でリポートをすることになった。
ところが、7月23日 東京湾で、遊漁船「第一富士丸」と海自潜水艦「なだしお」が衝突、死者30人の大惨事に!
ソウル出張も延期となるかと心配したが、同僚が漁船に乗って東京湾から連日中継リポートするのを後ろ髪引かれる思いで見ながら、私はソウルへ赴いた。
実はこれがはじめての海外出張。
しかも民主化宣言したばかりの激動の韓国。
当時韓国には前年の大韓航空機爆破事件もありテロのうわさも流れていて、緊張して金浦空港に降り立った。
空港にはM16を抱えた兵士がびっしりと並び厳重警戒、
私の緊張感を更に盛り上げた。
当時の韓国は今のような韓流ブームもなく、
日本とっては近くて遠い国。
ソウル市内もハングル文字ばかりで英字の表記もまだほとんどなかった時代。
共産主義のレッテルが貼られたチャプリンの映画がはじめて公開されることがニュースになっていた。
お隣とはいっても見るもの聞くもの珍しかった。
まだ反日教育も徹底していた。
ソウル滞在もかなり長くなったある日、たぶん私も韓国人に近い顔つきになっていたのだろうが、町を歩いていて女子高校生から時間を聞かれ、「イルボンサラミエヨ」(私日本人です)と言ったら、
そのお嬢さん、脱兎の如く逃げ出したのも懐かしい思い出。
取材テーマは韓国の社会全般にわたり、高度成長期の日本を彷彿とさせる多くの現象にどこか懐かしさを覚えたものだ。
取材地もソウルだけでなく、光州事件の光州や、最南端の済州島にも及んだ。
ひとつの国の変貌を取材するという大きなテーマを与えられた私は、この韓国長期取材でジャーナリストとして急激に成長したと思う。
テーマはマイカーブーム・株ブーム・スポーツ界・ソウルの都市住宅問題などなど。
毎朝KBSの中継車とスタッフで。
ソウルの街角から、作り込んだVTR使いながら生リポート。
あんな楽しい仕事は初めてやったなあ!
放送終了後、KBSのスタッフと食べた朝飯 美味かった!
毎日、発見と興奮の日々!
結局ソウル滞在は8月一杯となり、
ソウルに秋風が吹き始めた8月末ソウル五輪開会式目前に帰国した。
お陰でソウル市内は地図見ないで歩けるようになった。
言葉も少し覚えた。大好きな国に。
だからお隣韓国とは仲良くしたい!
今回の韓国政府の「政治決断」が、
両国にとっていい決定になりますよう 祈!
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