2008年1月から1ヶ月近く、慶應病院に入院。

「脳動静脈瘻」と言う聞いたこともない病気!


&&

硬膜の動脈と静脈が毛細血管を介さずに直接つながってしまった状態硬膜動静脈瘻という。 圧が高い血流が動脈から静脈へ直接流れるために、静脈の圧が上がってしまい、脳へ血液が「逆流」してしまう。

圧の高い動脈血が直接静脈に流れ込むので、静脈内の圧が高くなり、脳脊髄の血液の流れがわるくなり、発生する場所により、頭痛、耳鳴、目の充血、目が飛び出すなどの症状。


そもそも

前年の暮れから頭痛がひどく

職場の忘年会の帰りに「幻影」「幻聴」!

こりゃおかしいと、職場の総医長に相談。

近くの大学病院でMRI。

ドクター曰く「脳腫瘍としか思えない」と😲

びっくりして総医長にまた会いに行ったら、

「自分の慶應同期生のいる慶應病院に入院手続きしよう!」と。


実はその頃、事業局長として京都出張が控えており、

母の墓参りもしたいからと、待って貰い、京都へ。

墓石を抱くように母に「助けてくれ!」と。


京都から帰ったらその日の夕方、局からそのまま慶應病院へ。

妻は病院直行。


夜、玄関は閉まっていて、救急入口から慌ただしく入り、

脳外科の病棟へ。なんかすごく不安だったのを覚えてる。

MRIを見た主任教授「多分脳動静脈瘻だ。」と。


何やそれ?


翌日すぐカテーテル治療。

しかしその夜教授は、「やっぱり 解頭させてほしい。」‼️

翌日手術。

硬膜を切って脳の中を外科手術。

7時間に及ぶ大手術。


手術室へ入る時、不覚にも涙😹!

長女が涙をハンカチで拭ってくれた のを生涯忘れない。

あいつ、もう会えないかもしれないと思ったんだろうなあ。


しかし悪運強く手術は大成功!

それから20日ほどの、生まれて初めての入院生活。

病室から「信濃町の駅」が見えた。

朝、サラリーマンが足早に通勤。


俺 あそこへ戻れるやろか?


執刀教授は「もう二、三日遅かったら命危なかった」と。

命は助かったが社会復帰できるのかどうか?

手術翌日から懸命にリハビリ!

看護士長「バレンタインには退院できそうだよ!」


不思議なことに

退院したらまず行きたかったのは、

東急BUNKAMURA!


思い出がいっぱいあった!


なんとかあそこへ行きたい!

退院3日後出局してすぐBUNKMURAへ行った。

以後毎年2月になると、入院生活を思い出す。

二度と嫌だ!


#######################################