最近テレビを見ていて、
元の会社でさえ、知らないアナばかりになり、
自分の歳を改めて認識することが多い。
実は現役時代、かなりまじめに後輩アナの育成にも取り組んだ。
アナを辞める直前には、週に一度、後輩たちが後に「川端教室」と読んだ、鍛錬会もやっていた。
アナ室長から示唆を受け、僕が見て将来、我が社の看板キャスターになるかもしれない後輩アナを選んで集まって貰った会。
この「川端教室」から今や、NHKの看板に育った。
嬉しい限り。
画面を見ながら、こうした「弟子たち」が活躍するのを見るのが僕の大きな楽しみになった。
筆頭は「武田真一アナ」
川端教室で初のキャスターとなった優等生。
少し早いのではの懸念もあったが、彼はその後見事にキャスター道を極め、今やNHKの看板キャスターの一人として活躍。今BKに在籍して新たな大阪発の番組に取り組んでいる。
実は彼が若い頃四国の局にいた頃、アナ室の幹部が、武田という評判の良いアナがいるから、東京で報道に使えるか、判断して来いていうご指示。
四国のアナ研だったか、アナウンサーが集まる会議に赴いて、武田アナを見た、話した。
で、東京アナ室への私の報告は、
「かなりいいアナだが、報道というより、番組制作系のアナウンサーかな⁉️」
人を見る目は全くなかったんだな⁉️
後々悔やんだ。
そして私が沖縄局長時代の話。
当時のアナ室長から電話があり、武田を地方へ転勤させたいが、本人は出るなら沖縄がいいと言っている、との話。私は反対だったが、室長はなかなか固い意志。
そこで旧知の人事部長に、もしアナ室が
どうしても彼を出すなら、少し早いが管理職(CA)にしてやってほしいと要望。
実は沖縄局では、台風時など週に何回も徹夜勤務になるため管理職であるCA(チーフ.アナウンサー)が欲しかったという事情もあった。
という訳で、武田くんは、めでたくCAとして沖縄放送局に赴任。喜んだのは沖縄の人たち。
顔の売れたアナが沖縄に来るのは、NHKが沖縄を重視している証拠と見たのだ。
ただ、アナ室長にも言ったが、「2年くらいで多分報道が東京へ呼び戻せと言ってくるよ。」と。
事実はその通りになった。
今でも沖縄に、武田ファンは多い。
人柄はとびきりいい。
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