あの日の僕の覚書

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阪神淡路大震災は1995(平成7)117日だったのだ。私も心騒ぐ日がまた始まる。


三ノ宮駅前の座屈した神戸新聞ビルや、鳥居が完全に倒れた生田神社。そして何よりも象徴的だったのは阪神高速の高架が見事におちてしまっていたこと。

日本の都市はこんなにも脆弱だったのか!

「6430人を超える人々は何故死なねばならなかったのか?」をテーマに、NHKスペシャル「阪神大震災」がスタート。以来毎月毎月神戸に通い続けたのは、

1995年から1996年にかけてだった。

焼け野原となった長田でのこと。家に火が付き、柱の下敷きになって動けない父に、「早く逃げろ!」と促されて泣く泣く「見捨てて」逃げたという話を涙ながらに私にしてくれた、あのお嬢さんは今どうしておられるだろうか。被災地は「悲しさ」と「悔しさ」で満ち満ちていた。人々のあの「悲しさ」「悔しさ」だけはどうしても忘れることが出来ない。ジャーナリストとして出来ることは何か、真剣に考えた1年だった。

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