平成元年は1989年1月8日から。
30年続いた!2019年4月30日まで。
世界が激動し
日本も大変革の時代
平成時代の出来事
○ベルリンの壁“崩壊”―東欧に民主化の嵐 1989年
○中国で天安門事件―江沢民体制スタート 1989年
○米ソ首脳がマルタで会談―冷戦時代終結へ1989年12月
○中ソ関係、30年ぶりに正常化
○ソ連、アフガニスタンから撤兵―外交に新思考1989年
○サンフランシスコで大地震1989年10月
○構造問題中心に日米経済摩擦激化○
○フィリピンで国軍が反乱―アキノ政権の基盤揺らぐ1986年2月
ベルリンの壁崩壊時の僕の覚書
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1989年(平成元年)11月9日
その日いつものように世田谷の自宅から局差し回しの車で三時半にニュースセンターに到着。その日出稿予定のニュースのサマリーに目を通して6時からの本番に備えていた。
その日の編集責任者(編責=エディター)は頭を抱えていた。ベルリンから、「ベルリンの壁崩壊か」、とうタイトルの原稿予定が入っていたのだ。詳細不明の荒い原稿で、編責は、これが単なる壁の物理的な崩壊なのか、そうでなければ一体何かを判断する根拠を持っていなかったのだ。それほど突然のニュースであった。
実は後にわかるのだが、その前日「旅行許可の規制緩和」の政令案が東ドイツ政府首脳部に提案され、政府首脳部はその頃頻発していた国内のデモや国外に流出する東ドイツ市民の対応に追われる余り、大した審議も行わず通過させ、記者会見で公表されたというのだ。
この記者会見を見た東西ベルリン市民は半信半疑で壁周辺に集まりだし、ゲート付近でいざこざが起きていた。事態の悪化を恐れた東ドイツ当局者がゲート開放を決定。多くの犠牲者を出した東西ベルリンの壁があっさり開放されたのだ。
しかして、わがNHK編責氏は、ジャーナリストの直感を駆使してこれは歴史的な大ニュースかもしれないと判断、その日の朝のトップニュースを飾ることになった。正直言うが、伝えた私も実は半信半疑で半ば釈然としない気分ではあった。
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その日の僕の覚書でした。
今でも
この日のことは忘れられません。
とにかく
激動の日本と世界でした。
この時代にニュースキャスターをしていたことは
幸せでした。
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