今朝の朝日新聞は
「1991年」の激動の時代を取り上げている!
湾岸戦争の年だ。
この前年1990年のNHKの「年末ハイライト」は
「1990年 世界は動いた」と題して、
例年のVTR構成をやめ生放送となった!
キャスターは私でした。
その「世界の激動」の始まりは
1990年8月2日であった!
その頃ぼくは「昼のニュース」のキャスターで、
午後はブレーキングニュースの担当。
突発的な事件や事故などのニュースを放送する役割。
実はその日8月2日は
マニラて誘拐された日本の商社マンが「解放」されるかもという日。
(三井物産若王子支店長ではなく、別の商社マン)'
NHK報道局では、「解放」に備えて現地マニラと生で結んで
「その時」を待っていた。
ニュースセンターのスタジオには、
私と国際部のY記者がスタンバイ!
「解放」の知らせを待っていた。
スタジオでこの事件の経緯を振り返りながら。
まさにその時、全く違う「ニュース」が飛び込んできた!
「サダムフセインのイラクが隣国のクエートに軍事侵攻した!」
というのだ。
正直ぼくは意味がさっぱりわからなかった。
実は前日だったかなあ?「イラク軍がクエート国境付近に集結」という、共同通信の「短信」を目にしていたが、恥ずかしながら気にも留めなかったのだ。勉強不足だったなあ!
さてしかし
スタジオのぼくの隣にいたY記者は、緊張の面持ちではあったが、
「大変なことが起きました。」と、
スラスラ解説を始めた。
ぼくはただただ一方的に聞き役!
彼はなんと、翌年に起きる「湾岸戦争」の可能性にも触れた!
これぞジャーナリスト!
このY記者こそ、その後湾岸戦争の最中、
退去せず、ミサイルの飛ぶ現地から最後まで「戦況」を、伝え続けた「柳澤秀夫」記者、その人だった!
その後NHKの解説委員長となり、NHKを離れてからも、大活躍。
今や民放でも連日のように顔を出している、あの柳沢秀雄。
以後ぼくも、
日常から世界情勢に目配りし、
やや体系的な勉強もするようになった。
だから、この日1990年8月2日のことは生涯忘れることはない!
ちなみに
翌年の放送記念日に、柳沢秀夫は「イラク報道」で、
ぼくは「皇室報道」で、
当時の島会長から、珍しく個人で「会長特賞」を受けた。
世界が激動し日本も昭和から平成へと代替わりした時代の思い出!
#################################################################