70を超えて齢71。

最近折に触れて自分の「おしまい」について思うことが多くなった。

自分は「いつ」「どこで」「どんなふうに」死んでいくのか?


母は53歳で亡くなった。誰にも見取られず、病院の冷たいベッドで。

2月の京都の、寒い朝。


生まれつき心臓の弁欠損症でほとんど病弱の短い人生だった。

晩年は入退院の繰り返し。

ぼくがNHKに入って京都を遠く離れていたは。

会いたかったんだろうな!病体を押してはるか北海道や山形にも会いに来てくれた!

♪運がいいとか悪いとかそういうことって確かにあるわ♪

という悲しい曲を聴くと、どうしても母のことを思う。

今朝もラジオから流れていて母の人生を思った。


実はぼくは、大切な人の臨終に立ち会ったことがない!

母も父もそして次女も、みな、ほくはもちろん、誰にも「看取られず」逝ってしまった!


我妻は、義父も義母も手を握りながら看取ることができた。

ぼくを「看取って」くれる人がいるのか?

誰が死に目に立ち会ってくれるのか?


高校生の頃の思い出。

山田先生という英語の先生がいた。

夏だった。夏期講習の時だったのか

扇子をバタバタさせながら「素敵素敵」「人間は生まれる時も死ぬ時も一人」「それが人生」

そうか、「ひとりか」?とぼくは思った!

何か教えてもらった記載がした。


だから

「看取る」人が居ようといまいと、死んでいくのは「一人」なんだ。

そう思う日々。

今回はちょっと寂しい話になりました。

ごめんなさい🙇‍♂️

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