今朝の朝日新聞は、ソウル稲田支局長の

「タクシー運転手 ソウルの悲哀」という記事を掲載している。

この一文を見てソウルのタクシーのことを思い出した。


初めてソウルに行ったのは1988年夏

はじめての海外出張だった。


その時のメモ

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ソウル長期出張

前年の韓国ノテウ政権の誕生と民主化宣言で、お隣りの韓国は大きく変わろうとしていた。9月にソウル五輪を控えて次々に民主的政策も打ち出されていた。

担当する「モーニングワイド」でも、激変する韓国の今を伝えようということになった。私は五輪目前のソウルへ派遣され、

韓国国内の様々な動きを取材しリポートにまとめて、

韓国KBSの協力の下、ソウル市内から中継でリポートをすることになった。

さあ出発という真夏、あの「なだしお事件」が発生。

7月23日 東京湾で、遊漁船「第一富士丸」と海自潜水艦「なだしお」が衝突、死者30人の大惨事に。後に当時の瓦防衛庁長官が辞職(8月24日)

私のソウル出張も延期となるかと心配したが、同僚が漁船に乗って東京湾から連日中継リポートするのを後ろ髪引かれる思いで見ながら、私はソウルへ赴いた。

実はこれがはじめての海外出張。

しかも民主化宣言したばかりの激動の韓国。

当時韓国には前年の大韓航空機爆破事件もありテロのうわさも流れていて、緊張して金浦空港に降り立った。空港にはM16を抱えた兵士がびっしりと並び厳重警戒、私の緊張感を更に盛り上げた。当時の韓国は今のような韓流ブームもなく、日本とっては近くて遠い国。ソウル市内もハングル文字ばかりで英字の表記もまだほとんどなかった時代。共産主義のレッテルが貼られたチャプリンの映画がはじめて公開されることがニュースになっていた。お隣とはいっても見るもの聞くもの珍しかった。まだ反日教育も徹底していた。ソウル滞在もかなり長くなったある日、たぶん私も韓国人に近い顔つきになっていたのだろうが、町を歩いていて女子高校生から時間を聞かれ、「イルボンサラミエヨ」(私日本人です)と言ったら、そのお嬢さん、脱兎の如く逃げ出したのも懐かしい思い出。取材テーマは韓国の社会全般にわたり、高度成長期の日本を髣髴とさせる多くの現象にどこか懐かしさを覚えたものだ。取材地もソウルだけでなく、光州事件の光州や、最南端の済州島にも及んだ。ひとつの国の変貌を取材するという大きなテーマを与えられた私は、この韓国長期取材でジャーナリストとして急激に成長したと思う。

テーマはマイカーブーム・株ブーム・スポーツ界・ソウルの都市住宅問題などなどに決まった。

結局ソウル滞在は8月一杯となり、ソウルに秋風が吹き始めた8月末ソウル五輪開会式目前に帰国した。

(ソウル五輪開会式は9月7日)

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さて ソウルのタクシーの話。

びっくりしたのは「相乗り」だったこと。

人が乗っていても、沿道の人が手を挙げると止まる!

僕とその人を乗せて進む!

料金どうするのかとドライバーに聞いたら、

先に降りるお前は〇〇払え!と。

この「相乗り」には参った!

どういう割合で料金分割するのが帰国するまでわからなかった。


加えて不良ドライバーも多くて、遠回りは当たり前。韓国語がわからないとなると出鱈目運行。


その後政府の指導か?「模範タクシー」(モッパンタクシー)というのが登場して

相乗りも不誠実運行も無くなったようだ!


その後家族で何度もソウルに行ったが、

もっぱら「モッパンタクシー」使った。


ちょうど今頃だったかな?

KBS(韓国放送公社)の前で流しのタクシーつかまえようとしたが、

全然来ない!

11月のソウルは寒い寒い!ひどい目にあった!


今はスマホでタクシー呼ぶやり方も、若い人中心に広まっているらしいが、

今朝の朝日新聞は、運転手不足でタクシーか捕まらない現状を伝えていた。

その夜のソウルの寒さも思い出した!


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