1985年(昭和60年)8月
10年の「長い」地方勤務を経て
めでたく東京アナウンス室に栄転!
すぐさま与えられたのは「報道リポーター」の仕事。
待っていたのは「ひこう少年」の仕事‼️⁉️
漢字で書くと「飛行少年」
ヘリコプターからのリポーター。
仲間内では「ひこう少年」と自称していた!
それまでヘリコプターからのリポートは、
記者 カメラマンの仕事だった。
多分当時のアナウンス室幹部が、
アナウンサーの職域を広げようとしたのかな?
事件、事故が起きれば、新木場のヘリポートからすぐさま現場に向かうため、24時間体制でカメラマンがヘリポートに待機していた。
アナウンサーもその一端を担うべしとのことだったようだ。
そこで
我々アナウンサーは、早朝、技術のカメラマンと合流してセンターから新木場へ。張り番のカメラマンとタッチ。
何か有れば飛び立つ体制に入る。
しかしただ「待機」だけではいかがなものかと、
朝の「ニュースワイド」(現在の「おはよう日本」)に
ヘリコプターからの柔らかネタを放送することになった。
自然の美しさや季節ネタを想像した人が多かったが、
豈図らんや、新たなジャンルのリポートが放送されたのだ!
秀逸は第一号の「幸田アナ」のヘリリポート。
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場所は忘れてしまったが(倖田アナに確認したら檜原村だった。)
山の小学校の新一年生が、山の尾根の道を登校。その年のたったひとりの新入生だった。
縷々説明の後、幸田アナウンサーのヘリに
地上の一年生が手を振るのだ!
(事前に地上での取材で、幸田アナウンサーは
ヘリの音が聞こえたら手を振ってほしいと仕掛け)
あらかじめ地上の取材を丹念に行い、幸田アナは、普通はあり得ない
地上とヘリコプターのコミュニケーションを「演出」した。
感動的だったなあ!
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このリポートは、「ヘリ中継の新たな可能性を開いた」と大評判!
以後、アナウンサーのヘリ中継は、朝ワイドの中で大きな地位を占めるに至る。
もちろん、一旦事件事故が起きれば、ニュースリポーターに!
アナウンサーの事件事故のヘリからの「一報」が定着。
僕自身も、都心交通テロの朝「浅草橋駅襲撃火災」一報して
NHKが最も早くこの事件を伝えるに至った!
褒められました。
こうして、
アナウンサーは次第に「一次取材者」の経験を重ね、
報道局でも、アナリポートの評価が、高まっていった!
時は流れて
気がついたら、ヘリリポートは「カメラマン」に
定着していた!
アナウンサーがヘリコプターからリポートすることは無くなったようだ。
そしてそして、
アナウンサーは今や
「明るく賑やかに」「楽しく」リポーター路線を
ひた走っている⁉️
なんでやねん?
遠からず「アナウンサーは要らない論」か出てくるはず。
当時の「ひこう少年」はなんだったのか?
倖アナ、樋口アナ、下山アナ
お元気だろうか?
カメラマンの空からのリポートを見るたび、
あの頃の「ひこう少年」の活躍を思い出している。
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