雨で開会式が少し遅れた夏の甲子園。

開幕試合は日大三島と國學院栃木。

國學院栃木は37年ぶりの出場!

そうか あれから37年経つんだ!

37年前を思い出して「涙」出てきた。

母校でもない。訳がある。



今から37年前、昭和60年、「国学院栃木」が、栃木県予選を勝ち抜いてはじめての夏の甲子園へ!

その日私は、代表校取材で栃木市の同校を訪れていた。

街の俯瞰(高いところから見た全景)を撮るため、

大平山という山の上に収録のための中継車をあげて作業をしていると局から中継車に無線連絡!

(当時まだ携帯はなかった!)


H放送部長のいつもの声で「東京アナウンス室への異動」を告げられたのだ!「すぐ局へ戻れ。」と。

これまでの人生の中でこれほど感激したことは多分なかった!前日夜、部長からの電話で東京アナウンス室へ内示があるかも?と囁かれたのに、その日正式に告げられると本当に感激した!


この瞬間、これまで10年間の地方生活が走馬灯のように頭をよぎり、特に次女が難病で入院して苦労した宇都宮での4年間が胸に迫ってきた。


歩いて街へ向かったが、道の両側に咲いた満開の紫陽花の中を歩きながら、男泣きに泣いたのを今も忘れない。

どうしても涙が溢れてしょうがなかった!

情けない話だが。

この時の涙がその後のアナウンサー生活の原点である。