かつてNHKラジオにこんな
語り出しの番組があった。
🎵 「灯りが またひとつ消えて 窓がひとつ また眠りにつきました。今日と明日の狭間に 夜が静かに更けてまいります。
おやすみ前のひとときを 音楽でお過ごしください。」🎵
その名は 『夢のハーモニー』
中学生の頃からかなあ。
深夜のNHKラジオから流れててくる、
このナレーションにたちまち魅了され、
僕がアナウンサーになりたいと思う大きなきっかけにもなった。
なによりも、語りかける女性アナウンサーが
素晴らしかったたなあ!
下重 暁子
(しもじゅう あきこ)
元NHKアナウンサー
栃木県宇都宮市出身。下重家は江戸時代、各地の御典医に多かった姓で[1]、暁子の下重家は石見国浜田藩の御典医を代々勤めた[1]。映画「戦場のメリークリスマス」の登場人物のモデルになった森勝衛[2]は、父の従兄にあたる[3]。
9歳の時に太平洋戦争下重 暁子(しもじゅう あきこ、1936年〈昭和11年〉5月29日 - )は、日本の作家・評論家・エッセイスト。
元NHKアナウンサー
早大卒業後の1959年に、アナウンサーとしてNHKに入局。名古屋放送局や東京の放送センターに勤務した。野際陽子はNHKアナウンサー時代の1年先輩で、名古屋放送局での同僚でもあった。
NHK退職後に女優へ転身した野際に続いて、1968年にフリーアナウンサーへ転身。『長谷川肇モーニングショー』(NETテレビ)等のキャスターを経て、文筆活動に入る[6]。作家・評論活動だけでなく、講演も行っている。
かつて日本ペンクラブのパーティでお会いしました。
「私もNHKのアナウンサーでした。」と自己紹介したら、「あっそう」とあっさり。
かなりあっさりした人でした。
野際陽子
野際 陽子は、日本の女優・元アナウンサー・司会者・歌手・ナレーター・声優。身長163cm、血液型はA型。特技は英語・フランス語。最後の所属事務所はラヴァンス。本名は同じ。
生年月日: 1936年1月24日
出生地: 石川県 津幡町
死亡日: 2017年6月13日, 東京都
配偶者: 千葉真一 (1973年 - 1994年)
「キーハンター」見てました。
お会いしたことはありません。
永井多恵子
永井 多恵子(ながい たえこ、旧姓:高島、1938年1月30日 - )は、公益財団法人せたがや文化財団理事長で、元NHK役職員(アナウンサー、解説委員、NHK副会長
東京都出身。日本女子大学附属高等学校[1]、早稲田大学第一文学部を卒業後、1960年NHKにアナウンサーとして入局。以来ずっと東京アナウンス室に在籍し、経済番組の司会など主として報道番組を担当。1980年、アナウンス現場を離れ解説委員室に。異動。
女性問題や文化・教育問題にスポットを当てた解説や番組の制作に携わった。
1990年、当時の浦和放送局長に就任。NHK史上初の女性局長であった。
3年務めた後解説委員室に復帰し、
NHK副会長に。
実は私のかつての上司。視聴者サービス局長時代薫陶受けました。よくしていただきました。
なかなか骨のある副会長でした。
当時の橋本会長をよく支えておられました。
永井さんからメール
「川端さま
ご存知と思いますが、夢ハモは
下重姉と交代で私、やってました。声質が似てるそうで
今夜はどっちかと、当てっこしている視聴者がいた、と姉から聞いてます。
彼女とは
よく、付き合っています。永井」
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