あれから35年
1987年の憲法記念日5月3日、記者2人が殺傷された朝日新聞阪神支局襲撃事件。
兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局
殺された 小尻記者(当時29歳)
生きていれば64歳。
どんな記者になっていたか?
元同僚は「将来の朝日新聞を背負って立つ記者」と言っていたらしい。
経歴
1957年12月12日、広島県豊田郡川尻町(現・呉市)で生まれた。「博く学を修め、知恵深く立派な子に」との願いから、「知博」と名付けられた。幼い時からよく読書をする少年で、「大きくなったら偉い人になって小尻家の名をあげてほしいと父母。
1977年4月、立命館大学法学部入学。1978年12月、朝日新聞京都支局アルバイトに採用された。1982年4月、朝日新聞入社。
僕の大学学部の後輩
事件は当時かなりショックだったなあ。
赤報隊事件
記者が政治的テロによって殺害された日本国内唯一の事例とされるが[1]、2003年(平成15年)に全ての事件が公訴時効を迎え、2021年現在に至るまで犯人の特定がされていない未解決事件となっている。