まず、閑話休題
満開だった、早咲きの玉縄桜。
今は小雨の中で青々した美しさ❗️
アナウンサーもこうありたいもんです。
華やぎし日は過ぎ易く葉桜に
稲畑 汀子
一花二花咲かして満開になっても
その後の新緑で勝負もあります。
ベテランはこうありたい。
さて今回はキャスターのスタジオからの「取材」というのもあるのです。
@@@@@@
サンフランシスコ地震の
私の経験談から
アメリカ西海岸 1989年)10月17日 日本時間(平成元年)10月18日午前9時4分)
NHKでも速報開始の判断。
とは言え 情報は何もない!原稿もない!
そんな中で編責が、特設N開始を決断したのは、現地サンフランシスコのABC系列局が放送を始めたからだ。(NHKはABCと提携していた。)
手ぶらでスタジオに入った私に
できたことは何か?
現地ABC系列局のブレーキングニュースの映像を放送し、その映像にコメントを打っていく。
「絵解き」しかありません。
外電情報が細々とあったような気がしますが、地震の規模など観測データだけだったような記憶。
町がどうなっているかの手がかりは、
ヘリの送って来るエアショットだけ。最初はサンフランシスコのどこの上空なのかもわからない映像!現地リポーターの英語を必死でイヤフォンで聴いて、知ってる単語に食らいつくようにして情報収集!当初は見た目のいい加減なコメントだったに違いありません。
これではいかんと、副調整室のデスクを通じて、「サンフランシスコの地図」をスタジオに持ち込んだのはどれくらい経ってからだったか?
実はリポーター時代ヘリコプターからのリポーターを担当。その時一番役だったのは「地図」だったのです!
ちなみに放送を大島終えてスタジオから出てきた私に、当時の報道局長(島さんだったかな?)から
握手を求められ、「君はサンフランシスコに行ったことがあるんだね?」と。
フリーウェイ5号線なと、あまりにも地名が頻繁に出てくるから、そう思われたようだ。
(地図見て言ってるから当たり前だが。)
これまでの自分の取材経験や知見を総動員してコメントするー情報や原稿がない以上できるのはそれだけ!こうした経験から、日常、自分の知見をいかに広く深くしておくことの大切さを実感。
こうした、「見た目の放送コメント」も「取材」と言いたい。
サンフランシスコ地震
事実、僕のコメントを聞いて、取材部は
原稿にしていました⁉️
普段から知見を広く深くしておく。
できれば語学も習得しておく。
こうした不断の努力が、
特殊な銃教下で」取材力」となり、必ず身を結ぶのです。
我が弟子、武田真一アナは
この教えを固く守ってくれていました。
##################