昭和50年初任地の室蘭から始まって
山形 宇都宮と10年間地方局に勤務。
この間私は常に、初心忘れず「ジャーナリストとしてのアナウンサー」を目指していました。
その経験
@@@@@@@
有珠山噴火(室蘭)
1977年(昭和52年)8月7日朝9時過ぎだったか?
室蘭局から見える有珠山が
突然白い噴煙を上げた⁉️
同期の仲倉カメラマンとの泊まり明けの私はただただびっくり❗️
仲倉は、さすがプロ、すぐにアリフレックスを手に屋上へ。
(ただ、フィルムが装填されていなかった⁉️)
実は前日の昭和新山火祭りの最中、地震が頻発。
火山性の地震らしいとの情報。
しかし東京社会部災害班の見解は、
「すぐには噴火はない❗️」
だから朝飯食べてお茶飲んでと、のんびりムードだったのだが。
余計びっくり。
一年後に山形局へ転勤するまで、降りしきる火山灰の中を右往左往して「取材」
火山災害というものの深刻さを認識するとともに、局の食堂の窓から見える、美しい山「有珠山」が地域にこんなにも深刻な被害を与える火山であったことを改めて認識した。
有名な昭和新山がこの有珠山噴火で出来たものであることも、この時初めて知った。
実は日本列島には、こうした、危険な火山と隣り合わせの生活が多くあることも学んだ。
若いアナウンサーは日々苦戦しつつ「学習」したのだ。
@@@@@
山形で「政局」取材。
昭和53年から56年までの山形での3年間は、
私のNHK生活の中では例外的に事件、事故の少ない、穏やかな3年であった。
しかし、日本の政局は大きく動いた3年間で、
史上初の衆参同日選挙が行われ、
選挙期間中に首相(大平総理大臣)が死去するという異例の事態も起きている。
病院で四日後に急死
山形局で私は、初めて「選挙開票速報」を担当することになり、ローカル放送とは言っても局を挙げての一大イベントであり、しかも間違いは絶対許されない放送に若くして(当時27歳)挑戦することになった。
ここで選挙を何回か経験し、山形という風土に根差した典型的な日本的選挙の世界も経験することになった。
後に私の専門領域となる「選挙・政治」の専門性涵養の第一歩を踏み出したのもこの山形局でのことであった。
この頃の政局。
昭和54年9月7日第一次大平内閣の手で衆議院が解散。10月7日第35回衆議院選挙が行われ、自民党は248議席と大敗。
敗北の責任を巡り、党内抗争へ。
いわゆる「四十日抗争」。
そして日本の政治史上初のW選挙へ。
「四十日抗争」は東京での出来事であったが、
毎日毎日東京から流れてくる「政局ニュース」に私は大変な興味を惹かれた。
振り返れば、自民党内の権力闘争に過ぎなかったのだが、政治の持つ「ダイナミズム」をわかりやすい形で提示してくれたことが、
地方にいて、将来、政治や選挙の報道に携わりたいと思い始めた若いアナウンサーにとってこれほど興味を惹かれるものはなかったのだ。
後の自民党のプリンス加藤紘一氏(当時官房副長官)の演説会を取材したのもまたとない経験だった。
こんな明快で英知に溢れた、素晴らしい政治家がいるのかと驚嘆した。
初めての開票速報に臨むため、準備の取材を続けていた私も、突然の解散で史上初めての衆参同日選挙となり、そもそも「同日選挙」とは、一体いかなるものかから勉強し直すことになった。
これも勉強になった。