母校京都市立日吉ヶ丘高校の思い出2回目。

ユニークな校風にマッチした、

ユニークな先生たちの思い出。

母校日吉ヶ丘高校を思い出して、まず思い浮かぶのは、ユニークな先生たち。


第一

生物の、福島先生。通称は「三尺」

なぜ三尺だったのかわからないが、

誰も、「福島先生」とは呼ばなかった。

「三尺」と呼び捨てだったなあ。

本館に向かう坂を、なぜか「三尺坂」と言っていた。なんでやったんやろ?いまもってわからん。

実は僕自身の生物の先生は、「縄田先生」。

所属する放送部の顧問でもあり、

当時の京都の放送教育の

牽引役でもあったらしい。


しかし何故か、三尺先生はみんな知ってた。

先程の「三尺坂」。

福島先生が、この坂で踊っているという噂も。

このブログを見てる卒業生でわわかる人がいたら

ぜひ教えてほしい。


#同級生から回答

三尺さがって師の影踏まず からきてると。#




第二

名前は失念したが、倫理社会の先生。

授業のテーマは、年中「ニーチェ」

その生い立ちから始まってニーチェ哲学の

隅から隅まで根掘り葉掘り。

大学の講義以上の水準。

だから、高校生ながら

ニーチェにはかなり詳しくなった。

その先生が、ある時から変になった!

ドテラを着て教室に現れ、訳の分からないことを喋り始めた。しばらくすると必ず他の先生が現れて、抱えられるように出ていった!

どうやら頭が病気ななられたようで、いつのまにか日吉ヶ丘からいなくなった。あの先生どうなったかなあ?もう亡くなられたかも。

ちなみにこの先生、京大出で、西田きたろうの教え子だったと聞いた。


もう一人。

数学の女性教師、今岡先生。

渋い和服をきちんとめされて、いつも凛とされていた。お幾つくらいだったのか分からないが、

粋なおばさんという感じだった。

和服と、数学というマッチが、妙に印象に残っている。 

実は僕は数学があまり得意ではなかった。

一方英語は得意科目でテストもいつもかなりの高得点だった。

数学の今岡先生は一応担任の先生なので、

僕が数学の期末テストなんかあんまり点数良くなくても、「あなたは英語で頑張ってるから、それでいいのよ。」と言ってくれ、救われた!


最後に英語の山田先生。

僕の英語の先生ではなかったが、

ある夏の進学補習講座の担当となられた。

京都の夏は蒸し暑い!いつも扇子バタバタさせながら、「素敵 素敵」「人生は孤独じゃ、生まれる時も死ぬ時も一人じゃ!」が口癖。

僕はこの物言いかとても好きだった。

大人になって、山田先生の仰ったことが、少しわかるようになって、人間は元々孤独なんだと

身に染みた。

山田先生と過ごしたあの夏が今も忘れられない。

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