上田早苗アナウンサー
現在、放送総局アナウンス室長
北九州市発足から間もなく当時の八幡区、今の八幡東区にあたる地域で生まれ、育った。福岡県立小倉高等学校を経て早稲田大学第一文学部卒業後、1986年アナウンサーとして入局、以後大阪と東京・渋谷を3往復する形で勤務し、数多くの番組を担当した。
2015年6月11日付の幹部人事で地元北九州局の局長に就任した。地元出身者の局長は、八田昂局長以来と聞く。
2017年7月の異動で東京アナウンス室(アナウンサー職)に復帰。アナウンス室専任局長。
現在は、放送総局アナウンス室長。
地方局長経験者が室長になるのは、
あまりなかった。
佐藤淳前局長に続く起用。
私は、アナ室長は一旦地方局長をやった人が就任すべき、と言うのが持論だ。
彼女が面接で話したことが、面白くユニークだったらしいと先輩に聞いた。そう言う意味でも目立っていたらしい。
かくしてめでたくアナウンサーに合格!
当時は(今もそうだが)女性アナの倍率は
100倍を超えていた難関。
初任地は大阪。
その大阪から東京アナ室に帰ってきたのは3年後だったか、朝ワイド7時台サブキャスターとなり、毎朝早出に。
その頃私も朝ワイド6時台のキャスター。
NC(ニュースセンター)の自販機コーナーの美味くないコーヒーを二人で飲んで、「♪夜明けのコーヒー、二人で飲んだ♪」としゃれたもんだ。
彼女の力は、サブキャスターとして
中継現場のアナとのやりとりで、十二分に発揮された。多分頭の回転が早いんだろうな、その、当意即妙のキャッチボールには脱帽。
アドリブでこうした絶妙のやり取りができるのは彼女以外では、有働由美子くらいかな。
て言うわけで評判いきなり上々。
その後私が沖縄からラジオセンター長となった時代、新たな団塊世代向けの番組立ち上げにあたり、彼女にMCを。
相手は残間えりこ。
彼女以外には無理と判断。
新年度4月順調にスタートし、ほぼ狙い通りの番組になってきたのに、
何故か大阪に異動!アナ室のこう言う感覚には未だに納得出来ない。
センター長としては、番組を潰す気か?と頭にきた!
その後彼女は、故郷北九州の局長へ。
これほどいい異動はないと思った。
その時から、次は彼女が
アナ室長と思い定めていた。
早くそうならないかなとOBは、思いました。一旦アナ室専任局長になったが、
私の思いどおり、アナ室長就任。
OBながら嬉しかったなあ。
アナ室長は、活躍した専門職がやるべきなのだ。そうでなきゃ現場で働くアナウンサーの気持ちはわからない。
それ以前、アナ室では、行政職と専門職を峻別して、専門職は行政職へは立ち入り禁止だった。代々地方で副部長や拠点局のアナ統括をした人間が、アナ室副部長や専任局長になり、アナ室長になると言うルートがいつの間にかできてしまった。
優れたアナウンサーであり、地方局長も経験した上田早苗さんは、僕に言わせれば理想のアナ室長。
できる限り長く続けてほしいなあ。