影響を受けた先輩アナウンサー 伊丹賢太郎アナウンサー
東京都出身。慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学卒業後、1965年入局[3]。初任地は山形放送局。入局後は主にニュース番組を担当。後期はラジオ番組の出演が中心であった。NHKを定年退職後も『ラジオあさいちばん』に出演していたが、2006年3月に降板。以降はアナウンサー業を引退している。
昨日久しぶりに伊丹賢太郎さんにおめにかかりました。10年先輩ですから81歳、
にしてはお元気で安心しました。伊丹さんは、僕が東京へあがって報道リポーターになった時の現場デスク。
以前は「昼のプレゼントの司会なんかおやりになっていたスターアナウンサーでしたからびっくりしました!
僕を本当に丁寧に育てていただきました。恩人です。
少し体を壊されていると、聞いていましたが、それなりにお元気で、
僕がはじめて東京に上がった時の様子や、僕の初仕事だった、日航機墜落事故での僕のリポートも
よく覚えておられて、「いいリポートだった。」と、25年経って、あらためて褒めていただきました。
昔話に花が咲いて
本当に楽しいひと時でした。