森本 毅郎(もりもと たけろう)さん
フリーアナウンサー司会者。元NHKアナウンサー、ニュースキャスター。(NHKニュースワイドキャスター)
NHK退社後、TBSラジオで30年以上続く長寿番組であり「首都圏で最も聞かれている朝の情報番組」ともなった『森本毅郎・スタンバイ!』のパーソナリティ。
また、やはり30年以上の長寿番組となったTBSテレビ→BS-TBS噂の!東京マガジン』の総合司会。

テレビにラジオに大活躍の森本毅郎さんは、NHK時代は、全国の若手アナウンサーのボス的存在でした。
若手アナへの影響力も多大でしたから、
NHKをおやめになるときは、全国の若手アナに
大きな混乱を与えたと言っても過言ではありませんでした。
当時私は、宇都宮局という小さなFM局にいましたが、東京アナ室の若手グループがあたふたとしているのを、見ていました。
NHKのアナウンサーは、なかなか勉強好きで、毎年
「全国アナ研」という勉強会がありました。
ある全国アナ研の場で、当時報道リポーターとして活躍されていたKアナがこんな言い方をされました。
「記者は直球でリポートするから、アナウンサーは変化球で勝負」
参加者の一人だった私は、この発言に違和感を感じて、「僕はやはり記者と同じように、直球を投げたい。」という趣旨の発言をしたら、Kアナはもちろん参加者の殆どが、(生意気言うな!)というふうに反発され、僕は非難の的になりました。(困ったなあ!なぜアナウンサーは直球を投げてはいけないんだろう?)という気持ちで居住まいの悪い思いをしていました。
その時講師として研究会に参加されていた、森本さんが、「直球を投げたいという君の気持ちはよくわかる。その思いを大事にして仕事をすれば良い。」と助け舟。
以来私は、この時の森本さんの言葉を頼りにして
現場で「闘い」つづけたのでした。
そのアナ研から程なく、森本さんはNHKを離れられました。
ちょうど、当時のI報道局長が、「(本来)取材をしないアナウンサーは、要らない、採用の必要なし。」という発言があり、アナウンサーに大きなショックを与えた頃でもありました。
森本さん自身も、「報道の中で、アナウンサーは居住まいの悪い感じになっている。」と発言されたのを聞いたことがありました。
当時報道は、太郎(木村太郎)と次郎(平野次郎)が重用されており、その中でアナウンサーのキャスターは
居住まいの悪い位置づけになっていたのかもしれません。結局毅郎さんがNHKを去った根本原因はここにあったと当時私は見ていました。
この状況を変えるのが自分の仕事かなと、チョンチョコピーのアナなりに、思い定めたのでした。
そして数年後私は、報道リポーターとして報道で仕事をすることになりましたが、いつもあの時、毅郎さんが言われたことを、「心に忍ばせて」仕事を続けました。
その後キャスターとしての原点を築いていただいたのが森本毅郎という、稀代の名アナウンサー
でした。
そんなことを思い出しながら、毎週日曜日、「噂の東京マガジン」を見ています。