今回からしばらくは、40年以上に及ぶ我が家の愛猫たちの物語です。

みんないい奴でした。

まず

太郎 華の時代

室蘭 山形 宇都宮 東京

横須賀にて


向かって右太郎 左華


その後、太郎.華は山形宇都宮と私の転勤に同行。

華は宇都宮で、(多分農薬のついた草を食べて)亡くなりました。

(NHKの寮のすぐ横の田んぼで毎朝ヘリコプターが農薬の空中散布をしていました。

昭和60年太郎ちゃんは、私の東京アナウンス室異動で世田谷等々力の庭付き二階建ての我が家がホームグラウンドに。太郎は伸び伸びと居間と庭を行ったり来たり、のんびり暮らしました

5年後、

どうしてももマイホームが欲しいというわたくしども夫婦の意向で、三浦半島横須賀のマンションへ

引っ越し!太郎にとっては鉄筋の集合住宅の暮らしは辛かったに違いありません。

なんとか太郎にこの新たな家にに馴染んでもらおうと頑張ったのですが、結局転居して一年後、太郎は体調を崩し、腸のガンを患い、葉山の動物病院で手術するも、麻酔が覚めず私たち夫婦を置いて旅立ってしまいました。!15歳。手術のため入院した時、太郎はケージの中から妻の方を何度もなんども振り返り、辛い目をしていたそうです。その夜太郎は麻酔が覚めず

逝ってしまいました。死に目には会えませんでした。

こうして「太郎「華」の兄妹は天国へ。兄弟とも

辛い別れでした。


ありし日の妻と太郎



 晩年年の太郎



太郎は鎌倉の名刹光明寺に眠っています。
妹の華は宇都宮近郊のお寺に葬っていたのを
兄妹一緒にしてやりたいので、太郎の死後宇都宮に出向いて、住職立ち会いの上、もうすっかり土になっていた華の遺骨を分けて鎌倉へ持ち帰り、材木座の光明寺へ連れて行って、同じお墓に入れてやりました。
以後
光明寺が我が家の愛猫たちの
永遠の家となりました。